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ある精肉店のはなし



昨日、纐纈(はなぶさ)あやさん監督の「ある精肉店のはなし」という映画を観て来ました。
福岡での初日であり、監督とカメラマンの大久保さんの舞台挨拶があるということで小さなマイナーな映画館に人が溢れ、補助椅子に立ち見まで出て、中に入れずお帰りになった方もいるほどの盛況振りでした。

何も前情報がなくこの映画を観たのですが、冒頭のシーンにショックを受ける一方引き込まれてしまいあっという間の108分でした。

見方によっては、残酷とも思えるようなシーンに微塵もそれを感じず、寧ろ「いのちのもつ静謐さ」が漂っていたのは、監督の思いがそこに体現されていたからだと思います。

上映後のトークで、あやさんが「最初に屠蓄見学会に行ったとき、残酷さを微塵も感じず、熱気と気迫といのちそのものがそこにあった」と言うようなことを発言されていましたが、その思いが全編に溢れているからこその映像なんだと感じました。

この映画を観て、お肉が食べられなくなるのが一番怖かったとあやさんは心配していたそうですが、上映が始まって寄せられる感想には、そういうものはほとんどないそうで、むしろその反対だったそうです。

私自身、見終わって「お肉をもう食べられない」とはちっとも思わず、この北出精肉店のお肉を是非食べてみたいと思ったのです。

実際、ここのお肉を召し上がったあやさんのお話しでは肉の等級はB、ブランド牛でもなんでもないのに、今までスーパーで買っていたお肉はなんだったのか?というほどの美味しさだそうです。

それは、この北出精肉店の仕事振りにあるのだということがこの映画を見ると分かります。

一般に精肉店は、精肉を仕入れてスライスして販売するというものですが、この北出精肉店は、牛を自ら育て、自ら屠蓄して精肉して販売するという生産販売直結店なのです。
野菜や魚では珍しくないですが、お肉ではとても珍しいそうです。

店の裏に牛舎があり、そこで弟さんが牛を育て、時期が来ると牛舎から牛を引いて屠蓄情へ連れて行き、お兄さんを始め家族総出で屠蓄して精肉して行きます。熟成させて一番美味しいときにその日売れるであろう量を見極めてカットしていく、その迷いのない一環した姿勢にはなんの気負いもなく、今時珍しく家族一丸となって家業に向き合っている姿は、忘れていた何かを思い出させてくれました。

「育てた牛のいのちを自らいただくことにすごいと言われるが、何もせず、切り身となった肉を食べるみなさんの方が凄い」と話していた弟さんの言葉がとても印象的でした。本当はわたしたち一人ひとりが自分でしなければならないことをしてくださっている方がいるからこそお肉を食べることができるのです。

そこにいのちが存在していない切り身(魚であれ肉であれ)を当たり前のように食べている私たちは、言葉では、「感謝していただこう」と言いますが、本当にその切り身の向こうに生きていた魚や肉に感謝しているだろうかと思わざるを得ませんせんでした。

屠蓄された牛は、殆ど無駄なくいろいろに使われます。腸から出る脂は石けんの原料となります。皮は、なめされて革製品となります。弟さんが自らなめした牛の皮で太鼓の皮の張り替えをするシーンが出て来ます。太鼓の皮が牛革だと初めて知りました。

動物愛護の観点からお肉を食べないと仰る方もいます。
ミンクの毛皮などがよくやり玉に挙げられます。しかし、牛革も牛のいのちをいただいた結果の産物です。
毛皮は持っていなくても牛革が使われている製品を一つも持っていない方は殆どいないでしょう。

動物愛護の精神から肉を食べないのならば、牛革製品についても考えなければ矛盾が生じます。

食肉ばかりが取り沙汰されがちですが、この映画では皮の部分についてもかなり時間を割いてていねいに撮られています。

そして、この映画は、「いのちをいただく」ことだけでなく、屠蓄という仕事の大きな問題である部落差別についても目を背けず正面から向き合っています。
差別と闘いながら家業に命がけで向きあうその姿に気負いはなく、北出家の日常が淡々と描かれているからこそ、いのちの重さや差別の問題が浮かび上がってくるようです。真剣に仕事に向き合う一方、町のお祭りで思い切り弾ける姿は清々しいものでした。

牛舎から牛を引いて行くことも、屠蓄の現場も文字通り命がけ、そこにあるのは残酷さではなく、使い古された言葉ですが「感謝」なのです。

北出精肉店が使っていた市の屠蓄場は、閉鎖され、牛舎も取り壊されました。
屠蓄場は大型化、機械化が進み北出精肉店のようにナイフ一本で手作業で仕事をするところは、もう国内で2、3箇所しか残されていないそうです。それもきっとなくなってしまうのでしょう。

それでも、牛のいのちをいただくことに変わりはありません。

監督のあやさんは、息子と同じ自由学園の卒業生でいらっしゃいます。
自由学園の男子部では、子豚を買って、飼育し、業者さんに屠蓄をしていただき、お肉となってもどってきたものを学園全体でいただきます。

入学前にそれを知った息子は、自分たちで育てた豚を食べるなんてできないよと言っていましたが、入学後にはそのいのちの循環を学んだようです。ペットではないから豚には名前を付けませんが、自分で育てたものをいただくといういのちの循環の基本を学ばせてもらいました。

他にも、野菜、果樹、椎茸、養蜂、養魚(主にニジマス)をして自分たちの食卓に載せています。

上映前にあやさんとお話しする機会を得ました。学園の話しもしましたが、あやさんの目がキラキラと輝いていたのがとても印象的でした。

「こういう映画は口コミがいのちです!是非今日観た方は3人の方に伝えてください!」とあやさんが仰っていました。このブログをお読みくださった方、是非お近くで上映の折にはご覧ください。

ある精肉店のはなし


写真は、上映後のトークの様子です。


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新年のお菓子




フランスでの公現節(1/6)にいただくのがガレット・デ・ロワというお菓子です。
アーモンドクリームの入ったパイ生地のお菓子ですが、美味しいのは勿論、幸福をもたらすお菓子であるが故に人気があるのでしょう。

ケーキの中にはフェイブと呼ばれる陶製の人形が入っていて、切り分け配られたピースにそれが入っていた人は、王冠を被り、祝福を受け、幸運が一年間持続すると言い伝えられているのです。

フランスの伝統ですが、日本でも最近は一月になるとケーキ店やパン屋さんで売られているようです。

今年初めて近所のパン屋さんで買いました。

陶製の人形を入れて販売するのは、このご時世、差し障りもあるらしく、代わりにアーモンドを一粒入れて焼くそうですが、予約の場合で希望すればフェイブを入れて焼いてくれるそう。

折角ならフェイブが入っている方が楽しいのでお願いしました。

家族でいただきましたが、幸運を手に入れたのは母でした。

思いの外喜んでくれたので、買った甲斐がありました。

そもそも公現節とは、キリスト教のお祭りで、イエス・キリストの顕現を祝うものなんだそうです。

また、このガレット・デ・ロワというケーキは、古代ローマまで遡る伝統あるお菓子のようです。

母のそしてみなさまの幸運が今年も続きますように…

時を越えた美しさの秘密

『時を越えた美しさの秘密』



魅力的な唇のためには、優しいことばを紡ぐこと
愛らしい瞳のためには、人々の素晴らしさを見つけること
スリムな体のためには、飢えた人々と食べものを分ち合うこと
豊かな髪のためには、一日に一度子どもの指でといてもらうこと

美しい身のこなしのためには、
決して一人で歩むことがないと知ること

人は物よりもはるかに多く回復し、復活し、生き返り、
再生し報われることが必要なのです。

繰り返し報われることが。

人生に迷い、助けて欲しい時、
いつもあなたの手のちょっと先に
助けてくれる手がさしのべられていることを、忘れないで

年をとると、
人は自分に2つの手があることに気がつきます

ひとつは自分自身を助けるため
もうひとつは手は他者を助けるために


※米国の詩人サム・レヴェンソンが孫娘にあてた手紙であって
彼の詩集「時の試練を経た人生の智慧」二収録されていたものを
オードリー・ヘップバーンが詩の形に直して子どもたちに読み聞かせたものです。

相談をするとき

相談を受けるとき、注意していたことー絶対に本人の意思を否定しないようにしたことー
何故なら失敗しても、その選択を否定しなかったわたしのもとへは、助けを求めに戻ってくることができるだろうから。

これは、社会学者 上野千鶴子さんのエッセイ「ひとりの午後に」に書かれていた一文の抜粋です。
職業柄、相談を受けることは多いのですが、仕事としてするホメオパシーのカウンセリングとこういった類の相談ではスタンスがちょっと違います。

ホメオパシーでは、相談内容にいいも悪いもなく、ただ聞く、ジャッジしないのが基本です。それ自体にアドバイスもしません。
何を食べれば良いかなどのご質問には知識の範囲でお答えしますが、人生の岐路に立っている方のお悩みやメンタルについては、回答を持っていません。

でも、共通しているのは、「否定しないこと」でしょうか。

そして、もうひとつ上野さんのお話しでなるほどと思ったのは、相談者が相談相手を選ぶものだということ。

反対されるとわかっている相手には誰も相談しないものですね。だからこそ、失敗しても戻ってこれるように、否定しないことが大事なのでしょう。

初詣



初詣に行ってきました。
こちら福岡では、三社詣りと言って、七日までに三つの神社にお参りにするのが良いと言われています。

そこで、二日に先ず筥崎宮へ。
創建は、平安時代中期、醍醐天皇が関わるとされています。武運のある八幡宮とのことです。

少し並びましたが、数年前に行った太宰府天満宮よりは遥かに空いていました。
お天気も良く暖かい日、初詣日和でした。

少し間を置いて、次はお正月休み最終日の五日に自宅から歩いて警固神社へ。




こちらは、天神のど真ん中、賑やかな所にありますが、神社境内は案外ひっそりとしていました。

ここからはバスに乗って三つ目の護国神社へ。




境内が広く清々しい神社です。後ろに森が控え、福岡城跡、大濠公園もすぐ近くで緑の多い所です。

この日もお天気に恵まれ空が高く新春の空気を思い切り吸ってきました。

そう言えば、12月に東京から来た友人が「福岡の空は高い」と言っていました。

三社詣りを達成して、引き締まった思いで仕事始めを迎えることができました。

新春




明けましておめでとうございます。
晴天の穏やかな年明けとなりました。

去年は家族、多くの友人やドクターの支えがあって社会復帰を果たすことができました。

そして、みなさまのご縁によって新しい挑戦もできたことは本当に感謝しかありません。

また去年は、新しい環境に慣れるのが精一杯という感じでとても内向きな一年でしたが、今年は外に出て行動するぞ!と意気込んでおります。

この「外」というのは、文字通りの外でもあり、内向きに対しての外でもあります。

ようやく、心身共に力が満ちて湧いてきた感じがしています。

このブログももう少し更新頻度を上げたいと思っています。

ということで、今年もよろしくお願いいたします。
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