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娑婆の空気

昨日は、東京から仕事でこちらに来られた友人が帰りに病院に寄ってくれました。

病院の昼食を欠食にして、お土産にいただいた駅弁のようなお弁当を。

そんなにすごい量ではないはずなのに、何故か満腹になります。量より味付けや調味料のせいなんでしょうか?


そんなランチより楽しいのはやはりおしゃべり。娑婆の空気感がとても心地よく、仕事の話しもプライベートな話しも新鮮に感じます。

病院でも患者同士よくおしゃべりをしますが、共通点は同じ病気であることだけの場合が多く、話しもどうしてもお互いの病状の話しになりがち。それも、良くなった話しより、昨日よりここが悪いと言った具合にネガティブになりがち。

中々前向きになれないのが現状です。長く病院にいると、そんな空気感が当たり前のように思ってしまうのですが、実は、これはとても異常な事態なんだと、外からの空気を感じて思い知らされます。

馴れとは怖いもの、いつか知らないうちに自分もどっぷりと病人であることが当たり前になっているのですね。


ネットの世界は、娑婆と病院を繋ぐ大事な手段ですが、やはりリアリティーに欠ける部分があります。そこは、バーチャルな世界なんですね。

早く、娑婆に出たいと強く思ったのでした。


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病気利得

患者には、大きく分けて二通りあると思います。

一つは、早く良くなって、仕事に復帰するとか、やりたいことをやるとか。普通、みんなそれだろうと健康なときには思うものですが、病院にいるとまたは、ホメオパスとしてセッションをしていると、そうではない方がいらっしゃいます。

もう一つのタイプは、病気であることで利益が発生するので、本心では治りたくないと思っている場合です。

このタイプがとても厄介です。本人は、治りたいつもりでいますが、根っこのところで治りたくないので、実際病状は改善しません。

痛くないのにほんの些細な事にも過剰に反応して痛いと思ってしまいます。

病気で得られる利益とはなんでしょうか?
物質的な金銭である場合もありますが、それよりは、人からの同情だったり、現実からの逃避だったりするケースが多いようです。現在、病気が治れば置かれる立場が辛いものの場合、復帰したくないという心の叫びが病状を悪化させていきます。

ただ、検査で数字化出来るものは医者の目をごまかすのも難しいですが、「痛み」は数値化できないので、あくまで自分比になります。昨日と比べて今日はどのくらい好転しているのか、悪化しているのかということです。

ありていに言ってしまえば、本当は2くらいの痛みを10と主張することが可能なわけです。

不定愁訴の場合、立派な病名がつくまでドクターショッピングを繰り返すケースも出て来ます。

それは、やはり身体の病というよりは、心の病になりますが、通常本人が「病気でない」ことを認めないので、とても厄介です。

自分が病人として入院してみると、それがよくわかります。このケースに当たるなあとと思う患者さんがいます。

そしてその治療に当たる、看護士さんや医師、理学療法士の方々は大変だろうなあとその献身振りに頭が下がります。
患者同士にしか見えないことがあるのですが、それを医療スタッフに伝えることはやはり難しいですね。

生活保護の不正受給が問題になっていますが、医療も保険が絡んできますので、根の深い問題だと思います。


明日が来る

昨日のことです。


現在入院中のお部屋は4人部屋ですが、すぐ近くの個室の方が亡くなられました。
私が今、いる病棟は、整形外科と消化器一般(外科)の混合病棟で、4人部屋では整形と消化器の患者さんが一緒になることもあります。

昨日、亡くなられた方は、4月の入院の際に同室になったことがあり、6月の入院時にも違うお部屋でしたがお見かけしていました。

最近、個室に来られたことから「もしや。。。」と思っていましたが、昨日のお昼過ぎ、ご家族が「おかあさ〜〜ん」と絶叫に近いように呼び続けていらっしゃる声が聞こえ、それがほどなくしてすすり泣く声に変わりました。

バタバタと看護士さんの出入りがあり、ご家族の方が廊下に出られて、ご親戚と思われる方々に電話で連絡をされている声を聴いてわかりました。

息子さんらしき方が「俺が来るのを待っていたかのように息を引き取った」と涙ながらに電話されているのを聞いて、同室のみんなで涙をこらえることができませんでした。

整形外科の患者は、車椅子や松葉杖を使っていますが、至って元気、顔も笑っています。運動不足とストレスに依る過食で「太った!」と言っている人の方が多いくらい、つい、ここが病院であることを忘れてしまいます。

それが、昨日はまるでテレビドラマのような光景が眼前で繰り広げられ、文字通り「死と隣り合わせ」である「生」について考えさせれました。

亡くなられた方は私の両親より少しお若い世代、おかげさまで私の両親は健在ですが、そう遠くない日に私も母や父を呼び続ける日が来るのかもしれないと思うと、早く元気になって親孝行をしなければと思うように動かない脚に目をやるのでした。

どんな病気でも一日一日、状態が違い、気分もそれによって左右され、落ち込むことがたびたびあります。それでも、明日が来ることに疑いを持たず、リハビリを続けています。

いつ災害が来るかもしれない、いつ事故に合うかもしれないと思うときもありますが、たいていは、明日が来ることを疑ってはいません。だからこそ頑張れることもあります。

でも、朝目覚めたときに、今日を迎えられたことに感謝してまたコツコツとリハビリをする、今の私に出来ることはそんなことしかないけれど、「そんなこと」の積み重ねにしか将来はないと思っています。


清濁併せ飲む

最近、知り合いから「自分は、喩えれば、ガンジス川。糞尿や死体が流れているところで、洗濯したり身体を洗ったり。濁っていて、混沌としているけれど、深い大きな流れがうねって続いて行く。それに対して◯◯さんの川は、きっと水が澄んでいて底まできれいに見える川なのかと思います。」というメールe᡼が来ました。


それを読んで私が思ったのは、「清濁併せ飲む」という日本語があるように、人間誰しも、ガンジス川の部分もあれば、清流の部分もあるということ。どちらか一方なのではなく、いろいろな一面を持っているのが人間だと思うのでその旨、返信しました。


それぞれの中にいろいろな川が流れているからこそ、人間の付き合いは、面白いしそこからまたさまざまなものが生まれてくるのだと思います。


病院というところは、価値観も考え方も置かれている立場も違う人たちが集まる、言わば「人種の坩堝」です。正直、気の合わない人もいれば、癇に障る人もでてきます。社会の縮図がここにあります。きれいごとでは済まされない、人間臭い関係が生まれて来ます。

4月からの入退院で肌でそのことを学びました。ストレスもかなりのものです。やり過ごす術も学んだつもりですが、まだまだです。

退院までにその学びを今後どう活かして行くか考えながら生活するのが今の私に与えられたお仕事です。




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木を見ずして森を見る

私は、今、股関節の疾患で手術を受け、リハビリ入院中です。


股関節のその周りの筋肉を中心にほぐしたり、ストレッチをしたり、筋力トレーニングをしたりしています。
ドクターは、どうしても患部である股関節ばかり(周囲の筋肉は含まれますが)に目を向けがちですが、リハビリの理学療法士(PT)の先生たちは、今、身体全体に目を向け始めています。

整体や柔道整復師の方々は元々患部だけでなく全体を診る治療をされて来たと思いますが、病院で医師と共に働くPTは、どちらかというと患部重視型でした。

それが、やはり患者さんを診て来て、身体は一カ所が悪くても全体に影響するものだということ、特に筋肉や骨は、その1本で一つの働きをするわけではなく、一カ所の悪いところのために、持てるあらゆる力を結集して足りないところを補おうとするので、他のところにも大きく影響してくるわけです。

枯れかけた1本の木を見るのではなく、森全体を見渡すことが現代の医学でもやっと必要だと思われるようになった気がします。

そして、当然ながら、身体を構成している一つひとつの臓器や組織は、心と密接に繋がっていて、ネガティブな要因となり、やがてはその人の治癒力を低下させる強大な力となっていきます。


病院は役所に似ていて、縦割り行政のところが多々あります。役割分担がはっきりしていて、自分に割り当てられたところしか見ない傾向があると思っています。もっと横のつながりをもつこと、もしくは横のつながりを作れるようなパイプ役の人員を設置すれば、患者さん主体のチームワーク的な医療ができるのにと、今年の入院生活を振り返って思うところがいっぱいです。

ホメオパシーに特化せず、そう言った役割をこれから出来るように働きかけをしたいと新たに思うのです。



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