FC2ブログ

どう癒すか?

「Organon」第2章には、どのように、「癒し」を行うかがシンプルに書かれています。

癒しの最大の目的は、健康を元に戻すこと、そしてその方法として

1.やさしく
2.永続的に
3.患者さんの本質を理解した上で
4.短期間に
5.安全に

この5つの条件を守るようにとあります。

言われるまでもなく当たり前のことばかりです。

ところが、現代医学では、まず、患者さんの本質を理解した上で治療していることはないでしょうし、永続的とはとてもいえません。

また、安全かどうか、このことが現在は一番不安な点かもしれません。

患者さんにとてやさしい方法かどうかもきわめて怪しい気がします。

短期間に治そうと言う試みはされていると思います。だからこそ、短絡的に抗生物質の濫用があり、手術を薦めたりするのでしょう。

でも、いくら短期間に治っても後で、ぶり返したり、違う形をとって、出現する可能性も大いにあるわけで、永続性を無視した短期治療は決して有効とは言えないのです。

科学が進歩し、システムが複雑化すればするほど、こうした治療は難しくなるのだと思います。

現在の病院では、医療はすべて分業です。

最初に問診する人、触診する人、血液を取る人、それを調べる人、レントゲンを撮る人、すべて違う人間が請け負います。

昔の町医者は、すべて一人でやっていたと思います。その代わり高度な検査はできなかったでしょう。 でも、一人の人間(医者)が一人の患者をトータルに診ることができていたと思います。

そういう部分を維持したまま、科学の進歩の恩恵にも与る、それが理想だと思います。

ホメオパスは、問診と触診は許されますが、(婦人科系の場合は別かもしれません)血液を採ることはできません。

体温を測ったり、血圧を測ったりはできます。

科学的検査を行うことは一切できませんが、その人の申告する症状をトータルに捉えてレメディーを見つけ出します。

ケースによっては、やはり検査が必要なものもあります。
ホメオパスの判断だけで一切病院には行かないというのも問題があります。

患者さんの気持ちを汲みながらの連携プレーが求められる現代だと思います。


スポンサーサイト



「癒し」の定義

ホメオパシーの創始者、ハーネマンが残した著書の中で「Organon」と言うのはホメオパスにとって聖典のようなものです。

ホメオパシーとは何かについて300章にわたって細かい記述があります。彼の存命中に第6版まで書き換えられ、最後の6版は死後出版されました。

現在、出回っているのは第5版と6版をあわせたものが主流です。

最初の方は主に、ホメオパシーの基本理念とホメオパスがどうあるべきかについて書かれています。

原語はドイツ語ですが、私が読んだのは英語バージョン。

それでもかなりわかりにくい英語で授業でも苦労したのを覚えています。

それでも、時折読み返すと、そのたびに感じるものがあり、それが聖典たる由縁でしょう。

しばらく、その中から感じた部分を書いていこうかなと思います。

第1章は、「Healing」の定義です。

彼は「癒しとは、病気を元の健康に戻すこと」ときわめてシンプルに表現しています。

でも、まさに、それが癒しです。理屈ぬきにそれを誰もが願っています。

それはどんな医療も同じだと思うのですが、次に問題となるのは、そのプロセスとクオリティーとアプローチの仕方なのでしょう。

明日からそのあたりについてホメオパシーの考え方を書いて行きたいと思います。


頑張れ、お父さん!

オランダ人ホメオパスのInspiring Homoepathyのシリーズが終わったらちょっと気が抜けています。

今日は、閑話休題、面白い川柳をご紹介しようと思います。

先日、友人がメールで教えてくれた第一生命のサラリーマン川柳です。

毎年、一般公募して、優秀作品が100篇選ばれます。その中から一般の投票で1位から100位までが決まります。

今年の審査は2月からだそうです。

HPアドレスは、http://www.dai-ichi-life.co.jp/index.html

です。

過去の作品から私が大笑いしたものをいくつか、

第1位   タバコより 身体に悪い 妻の愚痴

第5位 化粧とり プールに入った ママはどこ

第6位 いやし系 うちにいるのは いあつ系

第10位 「オーイお茶」 次の言葉は 「入ったぞ」

15位 ついて来い 今では妻に ついて行く 来行

28位 地球より 家庭に欲しい 温暖化 リストラ父さん

30位 愛犬が 家族で一番 聞き上手 家庭内窓際おやじ

37位 見る目ある 妻をゆずった 元彼氏 レインボーママ

39位 ゴキブリが 出た時だけは お父さん 月下人

49位 サンタさん 今年は父に 職あげて ミッキーのパパ

60位 子が描いた ママの顔には 眉がない 晴耕雨読


などなど…

お気づきかと思いますが、恐妻家の夫が増えているようで。
昔とぜんぜん違う夫婦関係があるのでしょうか?

半分はジョークとしても、やっぱり悲哀を感じるお父さんの背中なのかなあと、笑いの後に哀しい気分にもなります。

不景気な世の中が如実に反映している川柳に日本の行く末を心配するとともに、これだけのユーモアと想像力があれば、大丈夫、お父さん、元気出して!と思わず言いたくなります。

我が家の夫もやけに猫を可愛がり、話しかけているのはそのせいかしら…?


ナショナル・デー

昨日は、こちらは祭日、建国記念日でした。

夏休みの最後に3連休というわけです。
我が家は、お友達家族が日曜日からいらしてお泊りで、
親も子もしゃべり明かして大いに楽しみました。

夜のニュースを見ていると、建国記念日にちなんでいろいろな催し物があちらこちらであったようです。

オーストラリアの国旗のタテュー(刺青)シールを腕や顔につけて歩いている人も多かったようです。

今日、子供たちの新学期の用意で靴などを買いに出かけたら、まだ名残でそのシールをつけたままの人を結構見かけました。

日本の建国記念日ももうすぐですが、日本の国旗の刺青をしていたら、右翼と間違われてしまいそうですね。

日本では国旗、つまりあの「日の丸」に対しては、国家の「君が代」同様、さまざまな論議がありますが、国旗を大事にする=右翼という発想があるのはとても残念なことのように思っています。

国旗というよりは「日の丸」に対しての右翼のイメージなんだと思いますが、第二次世界大戦に絡んでこれはもう仕方のないことなのでしょうか?

私は個人的には「日の丸」のデザインセンスと言うのは素晴らしいものだと思っています。

あれほどシンプルで目立ち、意思を表示しているもはないのではないかな。

こちらの学校ではインターナショナルデーなどが良くあり、
そのたびに自分の国の国旗を象徴する服を着たり、国旗を紙に書いて胸に貼ったりします。

その場合、日本の国旗は子供にでも描ける実に魅力的なデザインです。服も赤と白を着ればよいので、簡単です。

「日の丸」が右翼や天皇崇拝、戦争などにつながってしまう歴史的背景が残念です。

建国記念日と言うのは、その国の誕生を祝うとともに、
これからのその国のあり方や進み方、使命などを考える良い機会だと思います。

先日、NHKの新しい大河ドラマ「新撰組」を見ていて、石坂浩二扮する佐久間象山が、近藤勇に次のようなことを言いました。

「生まれて最初の10年は自分のことだけ考えていれば良い。
次の10年は家族のことを考えなさい。
そして20になったら自分のくに(郷里)のことを、30になったら日本という国のことを、40になったら世界のことを考えられるようになりなさい。」

これを聞いていて、こういう言葉を知っただけでもこの番組を見る価値があったと思いました。

(実はドラマ自体はつまらなくて、慎吾の棒読みせりふに辟易としていたのでした)

自分のこと、家族のこと、自分の暮らしている地域のこと、日本のこと、そうやって段階を踏んで、初めて世界のことを真剣に考えられるのだろうなと思いました。

自分を大事にできない人に他人を大事にすることができないように、自分の国を思わない人に世界のことを思う力はないのだろうと思います。

私は40を過ぎましたから、世界のことを考える時期に来ています。

ただ、それまでに自分のこと、家族のこと、地域のこと、日本のことを真剣に考えてきたかどうかは正直自信がありません。

でも、今からでも遅くはないですね。

オーストラリアの建国記念日にいろいろ思った一日でした。


最終、第7層「二重性、自分が分離される感覚」

最終、第7の層のテーマは「二重性、自分が分離される感覚」と書いてありますが、実のところ、まだ未知な部分が多く、研究中ということのようです。

ただ、中心となるのは、自分自身、魂、宇宙、そして、神との結びつきの問題だということです。

第6の層で問題となっている二重性(善と悪の)を解決したあと、その人は、自分が本当は何者であるのかと言う自己の統一化の入り口に立つと言うことです。


さて、これで、7つの層の解説は終わりました。
残念ながら第7層はまだ未完、未知の状態です。

もともとInspire という言葉には「らせん状に進む」と言う意味があります。

この本の表紙にも、人らしき絵が真ん中にあってその周りに渦巻きがあります。

つまり、外側から回って、だんだん中へ、中心へ近づいて行きます。

それが第1から第7へと進む(シフトする)過程を表しているのです。

この療法をどの層からスタートするかは人それぞれですが、どの層も完全に問題を解決して次の層に移るには数年掛かると言われています。

また、焦ってジグザグ走行で一つの層を進むなと警告しています。なぜなら、そうすることで、危険で不快な症状を患者さんが経験することになるからです。

焦らず、丁寧に、確実に進むことがその療法を施す側にも受ける側にも求められます。

また、ポーテンシー(レメディーの希釈度)もとても大事です。一つの層で一つのレメディーを服用している間にポーテンシーを変えて行きます。

好転反応を見ながら、的確な判断が求められます。


この手法はまだまだ、ホメオパシーの世界でも新しいメソッドで、私個人としては、まだ経験がありません。

ただ、 発想や、各層の捉え方はとても、興味深く、これからまだまだ発展していくのではないでしょうか。

今日で、このシリーズは終わります。


第6の層「矛盾した感情」

第6の層のテーマは、「善と悪の間での矛盾した感情」です。

この層に属するレメディーはAnacardium、これはナッツの種類です。

このレメディーの特徴は、相反する二つの感情、特に「善と悪」の間を行ったり来たり、これが問題となります。

また、悲しみと喜びの相反する二つの感情を同時に体験したりもします。

この自己の中の矛盾はしばしば怒りとなって現れます。

また、この現象は、自分の意思が誰かにコントロールされたとき(たとえば、両親など)起こります。

中心には、統一化の欠如、身体と心がばらばらになっていると感じること、悪魔と天使の間で揺れ動くことなどが横たわっています。


原因:重大なトラウマ、過剰なコントロール、悪魔のような人からのエネルギーの取得、

精神:二重人格、逆説的な性格、真剣な話題での不釣合いな笑い、自信の欠如、不快感、優柔不断

身体:食べることで楽になる、寒さ、皮膚の非常なかゆみ
   腸の不調(活動していない)


他にもこのレメディーの特徴としては、幻覚、幻聴などがあり、現場では、精神病と言われる分裂病や躁うつ病などにも処方されることがよくあります。

食べている間は不安や不快な感情を忘れることができるので過食に走り勝ちなことも特徴の一つです。  


第5の層「過去のトラウマ、犠牲者としての自分」

第5の層のテーマは「過去のトラウマ、犠牲者としての自分」です。

自分が犠牲者だと強く意識しているケースです。

この層に属するレメディーとしは、Rhus tox があげられます。これは、蔦からできたレメディーでファーストエイドキットレメディーにも入っている良く知られたレメディーです。

このRhus tox を一口に言えば、「古傷との関わり」となります。

これは、過去にトラウマとなるような出来事(虐待や刑務所での経験など…)や、過去世においてのそのような出来事に見舞われた人が属する層です。

過去世での出来事を記憶している必要はありませんし、そういうケースの方が少ないと思いますが、説明のつかない何かに対する特別の恐怖感が夢などで現れる場合があります。

またこの過去世での問題と言うのはヒプノセラピーの領域でこの療法を受けることでも、症状の緩和につながります。

このレメディーの特徴は、過去における(過去世でも現世での過去の出来事でも)解決されていない、ネガティブな感情ー怒り、憎しみ、犠牲者であると言う感覚、猜疑心、などがいろいろな症状となって現れる点です。

これは、第3の層のレメディー、Lac maternum(母乳)と深く関係していて、目覚めたときの緊張、古傷(感情の)の再現、過去自分を虐待した人物への怒りや憎しみ、悲しみ、恐怖感、逃れたいと言う感情が沸き起こります。

原因:過去(現世での過去、過去世、両方)における身体的、精神的、感情的虐待。

精神:抑制された怒り、暴力的な怒り、猜疑心、逃げられない、鍵をかけて閉じ込められたような感情、家を出たい、活動している方が楽、外の空気の方が楽、押しつぶされるような感覚、頑固(しつこい)な思考

身体:関節の凝り、動き始めのぎこちなさ、頻尿


私は、ヒプノセラピーの専門家ではまったくありませんが、ホメオパシーとこういった療法との連携がこの層に属するような方には最適なのかもしれません。



第4の層「自己のアイデンティティーの意識の欠如」

第4の層のテーマは、「自己のアイデンティティーの意識の欠如」で、その奥にあるものは「保護の欠如」と考えられています。

この層を象徴するレメディーは、Vernix caseosaです。
これは、10人の新生児の皮脂から出る分泌物から作られています。

この皮脂の分泌物は、新生児がこの世に体現するときに守る役目をします。

レメディーの中心となる特徴は、外側のエネルギーと自分の持つエネルギーの分離が不十分であることです。

外側からの影響に傷つきやすく、感情が圧倒されやすいのも特徴です。

立ち向かわなければいけないあらゆることにそれができないと感じたり、音に非常に敏感で、内側が弱いと感じたり、この世の中のいろいろなネガティブなこと(新聞記事などから)に非常に感じすぎてしまうなどもあります。

いろいろなことが一度にやってきて自分を守れないと感じたときに役立つレメディーです。

レメディーは外側の影響と自分の内側のエネルギーを自然にわけることを手伝いますが、Nat mur(塩のレメディー)とは違い、他者の気持ちを感じつつも自分と他者の感情を混ぜることはありません。

これは前回の第3の層のレメディーLac maternum(母乳)に続くもので、自分が自分の身体に存在しているとわかっていて、次にその境界を作る必要がある段階になります。

この境界とは自分と世界を遮断するものではなく、それと一緒に機能するものです。

精神:傷つきやすさ、繊細さ、裸でいるような感じ、守られていないと感じる、自分の感情や必要性にコネクトしていない、他者の苦しみに強く関わりすぎる、自己と境界に気づいていな
い、幻想と現実の境目を認識していない、意思が弱い。

身体:一日の出来事からエネルギーを吸収しすぎて、睡眠不足、疲労


他者との境界をうまく作ることができずに、傷つき、エネルギーを消耗してしまう、そんな人を創造します。

*************


さて、昨日は、朝起きたときからちょっと気分が今ひとつ。

頭が重く、熱っぽい。そして首筋のリンパ腺の辺りに違和感があり、はれぼったく、つばを飲み込んでも緊張がある。

そんな感じでした。

最近、言葉でこれと理由を表すことはできないけれど、私の根本体質であるNat-mur(塩)が必要だなあと思っていた私です。

昨日出かけた先で、先輩ホメオパスにちょっと症状を話すとい、やっぱり、Nat-murだと…

身体は正直で、私にレメディーを飲むことを促していたようです。

今朝は、やや熱っぽさは残るものの(非常に暑いので天候のせいもある)頭の重さとリンパ腺の緊張はうそのように消えました。

こういう風に症状が出たのは初めてでしたが、良い経験でした。

明日からまたがんばるぞ~~~って自分の身体に声をかけて上げました。


第3の層「具現化の欠如」

ちょっとの間,中断していましたInspiring Homoepathy ですが、今日は第3の層についてご紹介します。

第3のテーマは「具現化の欠如」(現実の世の中での課題を受け入れる事への拒否)です。

この層に属するレメディーは、Lac maternum または、Mother Earthです。
この二つは両方とも母乳のことです。

どう違うかと言うと、Lac maternumは、一人の女性の母乳から作られているのに対して、Mother Earthと呼ばれる母乳レメディーは、出産後3日から10ヶ月までの9人の女性の母乳をミックスしたものを言います。

どちらもその特徴としては、具現化の欠如、自然界を受け入れることへの不安、星としての世界へのホームシック、現世での人生の課題の難しさへの不安などがあります。

それらが、本当の自己の深い喪失の原因となります。

自分自身を中心に据えられず、自分のエネルギーが他者から邪魔をされやすいことも特徴の一つです。

思考がゴチャゴチャになり自己主張もできず、「ノー」とさえ言えなくなります。

症状としては、悲しい、ふわふわ浮いている感じ、「ここにいない」と言う感じ、めまい、集中力の欠如、ぎこちない、不器用、脱毛などがあります。

原因:この世での具現化への心配、不安、母乳を与えられなかった、もしくは足りなかった。

精神:白昼夢、思考がごちゃごちゃ、喜びの欠如、自己喪失、読書欲(現実からの逃避)、周囲への配慮の欠如、外出欲(「家」は身体のシンボルでそこにいることが心地悪い)

身体:皮膚炎(皮膚に黄色いかさぶたのようなものができる)、寒気、寝てもすっきりしない、めまい


第2、第3と母乳との関わりの深さを考えると、やはり母親との関係性が鍵を握っているようです。


カウンセリングにおけるプロ意識

金曜日から日曜日までカウンセリングの講習会に参加していました。

Wholistic Counselling と言う名前の講座で、ホリスティックな視点からのカウンセリングです。

スキルを学ぶと言うよりは、いわゆる心の病を中心として、カウンセラーとしての倫理上の心構えや問題、そしてクライアントの状態によっては、別の専門家への紹介を行う、その重要性とタイミング、その導入の仕方などを学びました。

テーマとなった心の病は、

1.精神分裂病
2.躁うつ病
3.うつ病
4.自殺
5.家庭内暴力
6.性的暴行
7.中毒ーマリファナ、アルコール
8.摂食障害ー拒食症、過食症、食べずにはいられない病
9.悲しみ

以上です。

ホリスティックカウンセラーは、精神科医や、心理学カウンセラー、心療内科医と違い、扱える病気、症状には限界があります。

ホメオパシーもそうですが、精神分裂病などの患者さんを単独で診ることは法律的に許されていません。

専門医に掛かっている上で、なお、ホメオパシーも受けたいと言う場合に限ります。

すでに、精神分裂病と診断を受けて、逆に専門医からホメオパシーを紹介された場合は良いのですが、

初めていらしたクライアントさんが、まだどの専門医、もしくはホームドクターにも診てもらっていなくて、しかも、急を要するような症状だったり、明らかに精神病だと思われる場合は、まず、ホームドクターに行くように薦める義務が派生するのです。

この、タイミングと方法が以外に難しいのです。
一つは、治療に携わる者として、クライントを自分で治したいと思ってしまうことで、紹介するタイミングを失することがあります。

クライアントさんの中には、他へ行くことを拒否する方もいらっしゃいます。

その説得も症状を増長させることのないように細心の注意を持って言葉を選び、話しかけることが大事です。

どんな療法にも言えることですが、倫理上の問題で一番陥りやすい間違いが、治療者と患者との間の線引きの問題です。

男女の仲と言うことだけでなく、近づきすぎると、友達のようになってしまいプロフェッショナルなカウンセリングを行えないようになることがあります。

お茶に誘われたら行ってよいのか?
クリスマスプレゼントは受け取っても良いのか?

そんなことが問題となります。

しかし、人間同士の交わりなので、きっちりとここまでと言うように線を引けるわけでもなく、それぞれの常識と良心に委ねられているとも言えます。

割り切りすぎると冷たい関係になって人情味に欠けますし、なあなあの関係も良いとは言えませんね。


もう一日、この講習会は残っていて、グループでテーマを選びプレゼンテーションがあります。

私のグループは、「うつ病」を選びました。

今朝、メンタルヘルスインフォーメーションセンターと言うところに行って、資料をどっさりいただいて来ました。

公立の施設ですが、大変親切なスタッフの方たちで、病に苦しむ方、その家族へのサポートなどいろいろな活動を行っているようです。

こういうところに行くと、オーストラリア人の親切と懐の深さを垣間見ることができます。

この国にいて良かったなあと思える瞬間です。


聖十二夜の正夢/カウンセリングの講習会

今日は更新しないつもりだったのですが、この興奮をどなたかと分かち合いとこれを書いています!

クリスマス前に相互リンクしているかめちゃんから教えていただいた聖十二夜の夢占い。

24日の夜から1月4日までに見た夢が順番に1月から12月までの出来事を暗示していると言うお話です。

イブの夜の夢、つまり1月を意味する夢は、実は結構くだらない夢で人に言うのもちょっと…と言う感じだったのです。

でも、今日、その通りのことが起こり、これはやっぱり正夢だと告白?する気になりました。

それは、顔ははっきり見えないけれどとにかく知っていると感じる(思う)女性にどこかで会い、その女性のバストがとても大きくて、「え~、彼女の胸ってこんなに大きかったかなあ。キット美容整形したのね。」と思う夢でした。

そして、今日のカウンセリング講習会で3年ほど前にあるセミナーで一緒だった若い女性に久し振りに会いました。

たまたま彼女が私の正面に座っていて(座席は円卓のようになっていました)「あれ、彼女こんなに胸が大きかったっけ?」とびっくりするほどの巨乳に変身していたのです!

しばらく、「あれ~」と思いながらも夢のことは思い出さなかったのですが、突如、講師の話もそっちのけで、「あっ」と叫びそうになりました。

夢だ!聖十二夜の1月の夢だ!正夢だあ~~~

くだらない夢には違いありませんが、正夢であることにも変わりありません。

興奮状態で帰ってきた私です。お察し下さい。


************


今日から3日間、カウンセリングのワークショップに参加します。

10時から4時までみっちりとカウンセリングスキルについて勉強します。

ロールプレイがたくさんあって、苦手なんですが、頑張ってきます。

その間、日記はお休みさせていただきますが、皆さんの所には遊びに行きます。

良い週末をお過ごし下さい!



自己愛の欠如

今日は、第2層のご紹介です。

これは「自己愛の欠如」がテーマです。

この層に属するレメディーは、一つ、Saccharum officinaleです。

これは、Sugar cane、つまりサトウキビです。


当然受けるべき母親からの愛情を受けられない恐怖から、
母親に見捨てられると思い込むことが
この「自己愛の欠如」の中心になると考えられています。

従って、愛情や注意を求めることに絶望的になります。

よくある症状としては以下のようなものがあります。

・食べた直後にもう胃が空っぽのように感じて飢えたような食欲を覚える。

・一般的に虚弱

・間食を食べたがる

・決まった食事の時間に食事を摂らないと疲労やめまいを感じる

・甘いものへの欲求が強い

・消化器系統の問題がある

・孤独感

・落ち着きのなさ、不平、不満が多い

・母親といると緊張する


原因:感情的拒絶、見捨てられること、母乳で育照られなかった、ご褒美として甘い物をもらったとき

精神:嫉妬、注意を惹くためのおしゃべり、朝食前のイライラ、落ち着かない、集中力がない、攻撃的、自分に不平、不満がある、抱きしめて欲しい

身体:爪噛み、指しゃぶり、食べずにはいられない、虚弱、乾燥


自己愛の欠如を生む背景には母子の関係が大きく影響しているようです。

これに似たレメディーがチョコレートですが、甘いものと言うのが「母」そのものなのかもしれません。



第1レイヤー:自信の欠如

昨日の日記の続きで、Universal Layer の中の第1の層、「弱いエゴー自我」についてご紹介します。

自我が弱いと言うことを具体的に言うと、自分自身に対する自信の欠如、失敗を恐れること、先を見越してしまうこと、癌になるのではないかと言う恐怖の増大、父親への緊張感などがあります。

患者さんがこの層に属する場合、過去の精神的感情的問題に注意を払う必要があります。それは特に、両親との関係、兄弟との関係、教育問題―学校でのふるまい、友達との関係、家庭でのふるまい、母親の妊娠中の状態、出産の状態、授乳中の状態、離乳食の状態、予防注射のリアクションなどが含まれます。

この第1層に合うレメディーは、Carcinosinum(癌レメディー)、Cuprum metallicum(銅)、Carcinosinum cum Cuprum(癌レメディーと銅レメディーのコンビネーション)の3つです。

Carcinosinum-内なる力との結合

自信の欠如、弱い自己防衛力、自尊心の低さが特徴です。こういったことがその人をあらゆることに繊細に反応するようにしてしまい、自信をいつのまにか害するようになっています。

腫瘍や癌を体内に持つということの意味は、自分の身体を癌細胞が侵入することを許したということにほかなりません。

そこで、先ず、その人自身を腫瘍段階から感染段階に戻してあげることが必要です。

精神レベルにおいては、自分自身と自分の人生の意味をもっと強く発達させることが必要です。

そして感情(情緒)レベルにおいては、レメディーは、すべての感情―喜びから怒りまでーを表現する能力を取り戻す手伝いをします。

原因:長期間の支配を受けたこと、厳しい危険な育てられ方、、父親の不在、予防注射

精神:気難しい、間違いを犯すことの恐怖、責任感の強さ、先を見越してしまうこと、同情心、読書と旅行をおしたがる、音楽、動物、海、嵐が好きである。

身体:アレルギー性鼻炎、慢性的扁桃腺炎、にきびなど


Cuprum metallicum -すべてがコントロールされている

Carcinosinumに似ていますが、より自己の意思や力を統治しようとする人です。

自分に自信がないゆえに、自分が何をしたかを確認し、すべてをコントロールしないと気が済みません。従って、柔軟性に欠け、注意深く、気難しく、大志を抱きながら批評家でもあります。他人に頼ることはしません。

原因:ストレスを持ちすぎること、疲労、常に自分に賛成できず、自信を傷つける

精神:コントロールを失うことの恐れ、独立心が強い、大志を抱く、熱狂者(狂信者)

身体:痙攣と緊張、喘息、高血圧、てんかん気質

Carcinosinum cum Cuprum

癌レメディー患者が銅の特徴ももっている時、この混合レメディーが合います。
混合の特徴としては、自信の欠如と頑固さ、気難しさ、仕事熱心(ワーカーホリック)、攻撃されやすいこと、先を見越してしまうこと、疲労があります。

頑固さとは、癌レメディーの場合は、その不確かさから、銅レメディーの場合は自己を常に認めることの必要性からきています。


当てはまるものはありますか?


霊的成長を助けるホメオパシー

クリスマスの頃から、昨日まで、すっかりホメオパシーのネタから離れた話題で日記を書いてきましたが、今日は久し振りにそのホメオパシーネタです。

オランダの有名なホメオパスTinus SmitsはInspiring Homoepathyと言う新しいホメオパシーのメソッドを提唱しています。

クラシカルホメパシー(一応、これが私の立場)が患者さんの症状をトータルに見る(過去から現在まで)のに対して、彼は、ただいま現在の患者さんのプロセスに注目する手法を取っています。

Inspiring と言う言葉は、ギリシャ語のSpiraから来ていてらせん状に自分の中心のエッセンスに上昇すると言う意味になります。

さらにそこからInspireは霊感を与えると言う意味になります。

この手法をホメオパシー療法に用いると、患者さんが自らあるきまった経験と振る舞いの反復が自己の中にあることに気づき、それを乗り越えていくことを手助けするのだそうです。

また、このInspireと言う言葉は呼吸すると言う意味も持っています。

私達の最初の呼吸は身体的、物理的な状況を受け入れることと人生経験を通して学んでいくための準備と言う意味があるのだそうです。

霊感を与えられるということは世界との最終的なコネクション(結合)を意味します。

彼は、このInpsireing Homoeopathyは霊的成長の道具であり、健康と言うものが面白みのないものではなくよりダイナミックに展開すると考えています。

セラピーの目的はあらゆるレベルにおける成長と気づきの過程に従事することです。

彼は患者さん達は混沌とした時期を放棄しなければならず、癒しと気づきのために一つの層(レイヤー)にとどまることの安定さを手放して次の層へと移動しなければならないと警告しています。

この変容はそれぞれの層に合ったあるホメオパシーのレメディーを取ることで容易になります。

彼は、現代においては、神(God)は外に存在する力ではなく、それぞれの人間の内側に存在するエッセンスだと言っています。

今を生きる私達にとって、私自身の中心に結合することはとても重要で、そのためには我々の宇宙の趨勢から相続された基本的な問題を解決しなければなりません。


彼は、先ず層には3種類あると言っています。

一つは、Universal(宇宙)
これは人間の一部分であり、再び自分の中心と結合するために通らなければならない過程の一部でもあります。

次はIndividual(個人)
各人の過程の一部で、自分が本当は何ものなのかと言う意識的な進化の広がりを得る前の段階。

最後はAccidental(事故)
各人の人生におけるある妨げ(予防注射、麻酔、薬、毒、など)を意味し、この層を治療するには、Isopathy(アイソパシー)が有効です。


そして最初のUniversalには7つの層があります。

1.弱いエゴ(自我)
2.自己愛の欠如
3.具現化の欠如(現実の世の中での課題を受け入れる事への拒否)
4.自己のアイデンティティーの意識の欠如
5.過去のトラウマ、犠牲者としての自分
6.矛盾した感情
7.二重性、自分が分離される感覚

それぞれの層に合ったレメディーがあります。

各層の詳しい解説とレメディーのご紹介は明日以降に順次させていただきます!


非情な現実

昨日の日記に友達の家のお片づけにお手伝いに行ったと書きましたが、そこで非情な事実を発見してしまいました。

途中、お茶にしようと言うことで、トイレを拝借、そして洗面所で手を洗い、出ようとすると、体重計が目に付きました。

我が家にも体重計はあります。
ここ最近、ちょっと体型が…と思っていた私はほとんど毎日体重を計っていました。

デジタルじゃあるまいし、毎日計っても変わるもんじゃありませんが、それでも調べたいのが女心。

友達の家の体重計を通り過ぎることは出来ず、又、乗ってみました。

す、すると、なん、なんと、違う!我が家の体重計の数字と違う!

洗面所を飛び出して、「ねえねえ、○○さんちの体重計おかしいよ。家のと数字が違う!」

叫んだように言いながら、人のせいにしていました。

彼女の家に居た別の女性が、「じゃあ、私も計ってみるわ。」と言い、洗面所へ。

出てきた彼女、何食わぬ顔をして「あらぁ、うちのとおんなじよ~」とのたまうじゃありませんか!

が~ん、が~ん!と頭の中で鐘が鳴る♪

そうです、我が家のより2キロも多いのです。

やっぱり体型が変わっただけじゃなく、確実に脂肪がわがボディーに取り付いていたのです、私の許可もなく…

10日ほど前、気になって久し振りに体重計に乗った時には既に我が家のものは壊れて?いたのでしょう。

甘かった私。(食べたものも甘いけど…)

これが、あんなに恐れていた中年太りと言うものか?

非情な現実を前にして、4月までに絶対元に戻して見せるぞと決意を固くした私です。

先ずは、間食をしないこと、よく動くこと、この2点から行ってみましょう。

今年の目標がまた、増えました!


捨て魔と取っとく魔

今日は、大親友の家のお片づけに助っ人として参上してきました。

最も、おやつを頂きに伺ったのか、お手伝いに伺ったのか良く分からない結果となりましたが…

年末に届いたクリスマスカードや、年賀状をリビングの棚にきれいに飾っている彼女。

折角頂いたお手紙を読んですぐ閉まってしまうのは申し訳ないとしばらく飾っておくのが彼女流。

全く正反対の私は、頂いたカードなどを読んで封筒に戻し、引き出しへ…

又、取り出して読み返すこともありますが、飾ることはなくなりました。

昔一時期、壁に飾っていたこともあるのですが、掃除しにくいと、結局はその習慣も続かず…

どちらが良いとか悪いとかではありませんが、彼女の情の深さに感動しました。

そこへ行くと私は、情が薄いのかもしれません。これは良く、父にも言われてきたこと。

「お前は冷たい!」と…

若かりし頃、何がきっかけだったかは覚えていないのですが、手紙類、日記類を残して死んで行くのは止めようと思って全部処分したことがあります。

自殺を考えたわけでもなく、 死の危険を感じたわけでもなく、若さ特有の感傷だったのでしょうか?

今となっては謎なんですが、そのまま、「残すまい」と言う感情だけは結構今でも気持ちの中に残っている私なのです。

でも、よく考えて見ると、頂いた手紙類しか手元にはないわけでそれを処分したところで、私が書いた手紙類をあて先の方が保存していれば、残ってしまうんですよね。

それに気づかずにいた自分も若さゆえ?でしょうか。

ただいずれにしても、手紙類を全部保存しておくとどえらい数になるので、年限を区切って処分させていただいています。

捨てる派か取っておく派か、これはもう性格の違いとしか言いようがないですね。

早くに捨ててしまって、失敗することも結構ありますが、それでも捨てることが辞められない私です。

捨てることでストレスを発散させているとも言えます。
皆さんはどちらでしょうか?


選んだ一人っ子人生

仔猫のルナがやってきて、一月が経ちました。

じゃれあったり、一緒に寝たり、リリーがルナを舐めたり、関係は良好に見えます。

ところが、どうもリリーの目つきがよくありません。

誰かがルナに話しかけているとじーっと見ています。
その目の恨めしそうなこと…

家族が気を遣ってリリーを大事にするようにしているのですが、突如出現した妹?に対する嫉妬はどうにもならいようです。

人間の子供と全く同じ状態です。
長女が生まれたときの長男の様子、次男が生まれたときの長男と長女が病院で見せた目ととても似ています。

いとおしい兄弟には違いないけど、同時に疎ましい、恨めしい、うざったい存在でもあるようです。
これを3うと言う? 

私自身は一人っ子なのでこういう感情を味わったことがありません。

今の我が家の子供を見ても、よそ様の子供を見ても、兄弟が多い子供は一度は一人っ子に憧れるようです。

私は、兄弟の多い人にあまり憧れを感じたことは実はありません。

一人っ子の煩わしさは誰よりも知っているつもりですが、さりとて、他をうらやむこともなくここまで来ました。

それは、私がやはり「一人を好む」根本体質だからだと思います。一人っ子であることを選んで生まれてきたのでしょう。

唯一つ、昔から「私は一人っ子です」と言うと皆の見せる視線だけは嫌でした。

一人っ子=わがままと言う図式で判断されるからです。

わがままな一人っ子もいるでしょう。でも兄弟が多くてもわがままな人はいます。逆に一人っ子でもわがままではない人もいます。

結局はそれぞれだと思うのです。

昔はそういう視線に「好きで一人っ子に生まれたわけじゃない」と思って心の中で反論したものですが、選んで一人っ子になったのかもと気づいてからは、逆に、視線が気にならなくなったから不思議です。

私は私でしかないと、すべてを受け入れると、人のそういう視線は気にならなくなるのですね。

3人兄弟となった我が子を見ていると知らないことがたくさんあり、これも私が選んだ人生と楽しんでいます。


内なる声と天の声

年が明けてから、知人が亡くなったり、友人のある話を聞いたりして、ちょっと運命について考えています。

運命は変えられるけど、宿命は変えられないと聞いた事があります。

「運命」と言う言葉を辞書で調べると、

「人それぞれの身の上に、生まれつき定まっていて、変更が許されないものと考えられている、幸、不幸などのめぐり合わせ。」とあります。

「宿命」を同じように辞書で見ると、
「生まれる前から定まっていて、どうにもならない運命」
とあります。

???同じようなこと言っていますね。よく分からなくなりました。

昔、まだ次男がおなかにも宿ってもいないころ、イースターの休暇に車で遠出したことがあります。

夫の仕事が終ってから夜の出発、夜通し運転して朝に目的地に着く予定でした。

出発直前、荷物を車に積んでいる時、バックの一つの取っ手が壊れました。

「なんか、嫌な感じだね。」といいながら、でも気にしないようにして、予定通り出発。

朝方、運転を変わった私が大事故を起し、新車は大破して、でも家族全員、奇跡の生還を遂げました。幸い自損だけで他の車を巻き込まなかったのが不幸中の幸いです。

事故を起した場所では、前日にも事故があり、子供が一人なくなっていたのです。

3歳半だった長男が車の窓を突き破って飛び出て、草むらに落下、腕を骨折しました。後は全員がムチ打ちと打身。

長男が運ばれた病院は田舎の小さい診療所のようなところで、骨折の手当ては充分出来ないと言うことでそこから1時間半ほど離れたもうちょっと都会の総合病院に搬送されました。

救急車には長男と私と看護婦さんが乗って、その病院に向かっている時、なんと前方を大きなドーベルマンが3匹横切ろうとしています。

長男を乗せた救急車は急ブレーキを掛けることが出来ず、そのうちの1頭に激突。4WDの救急車はなんともありませんでしたが、犬は…

無線で連絡をしていましたが…

今、思い出しても数奇な偶然(実は必然?)に身震いします。

出発前の嫌な予感と言うものは当たるものなんですね。

これも運命?宿命?

生まれつき定まっているにせよ、生まれる前から決まっているにせよ、避けられないものはあると思います。

避けられないという言い方にはネガティブな感情が込められているような気がしますが、自分で選んでいるといえば、とてもポジティブに聞こえます。

無意識のうちに運命(宿命)を選択している自分がいる、もしくは、違う気づきを得るために表面的には不本意な選択に見えることを選び取っているのかも知れません。

事柄が起きた、その瞬間には、運命を呪う気持ちや、不満が心に沸き起こるけれど、時間が経つと、受け入れられることがあります。

昔の私は悪いことが在れば、、人のせい、みたいなところがありました。

いまは、立ち止まって考える良い機会が与えられたのだと理解するようになりました。

私がしたいと思っていることが、正しいことではない時、今はしない方が良いと思われるとき、邪念がある時、待ったが掛かるように思います。

これが天の声なのかなと思っています。

自分の内なる声と天の声を聞きながら、今年も、毎日を大事に過ごして生きたいと願っています。



頭の体操

日曜日に、次男を連れて近くのショッピングセンターへ買い物に出かけました。

ジジ、ババからもらったお年玉で買いたいものがあると言うのです。

何軒もお店をはしごして、ようやく心が決まり、ゲームソフトとチェスを買いました。

このチェスは、クリスマスの頃から欲しがっていたもので、彼の気に入るガラスで出来たチェスセットがセールだったのです。

ボード(板)もチェスメン(駒)もガラスで出来ています。クリアなガラスとすりガラスで市松模様にボードはなっていて、チェスメンもそれで区分けされています。

ビジュアル的にも美しいチェスセット、これが20ドルでした。超、お得な感じです。

ルールを私は全く知りませんでした。碁も将棋も知らない私です。(知っているのはオセロくらい)

次男が教えてくれるというので娘と次男のゲームの様子を見ながら覚えることになりました。

駒(チェスメン)の種類が将棋よりは少なく、動き方も将棋よりシンプルなようです。

何とか理解し、次は次男と私の対戦。

相手が子供であることなんてすっかり忘れて真剣な私でしたがそれでもあっさり負けてしまいした。

これから毎晩、次男とチェスの試合に励んでいつか勝つぞと勢いだけは立派!

長男はこの次男よりさらに強いとかで(それでも普通のオージーより弱いのだそうだ)長男を負かすことが当面の目標です。

こちらの学校は小学校からチェスを教えてくれるので皆、ルールだけは知っているようです。

相手の手を読み、先を読み、と、頭の体操には素晴らしいボードゲームです。集中力や判断力も養えそうです。

中年からの脳の衰えにこれは期待できる頭の体操となりそうです。


大切なこと…

シドニーにしては珍しい蒸し暑い一日となっています。

今日は、日本の友人から年賀カードが届きました。
お猿さんが二匹笑っている可愛い写真付き。

彼女は大阪在住で、福祉関係のお仕事をされていて、ひょんなことから必然的に出会い、2度目に会った時には旧知の友のように感じた私の大切なお宝のお一人です。

その彼女が大阪でのワークショップを開催すべくお手伝いしてくださっているのですが、カードには、マザーテレサの心に染み入る言葉が書いてありました。

「大切なのは、どれだけたくさんのことや
偉大なことをしたかではなく
どれだけ心をこめたかです。」


忙しさに紛れて、心の焦点を失うと、どれだけしたかをつい数えてしまうのが人間です。

年表に記載される事柄がたとえ少なくても、一分一秒を大切に感謝しながら進みたいと祈念しました。

それにしても、素晴らしい友人に囲まれた私は幸せ者です。

これを感謝せずして何を感謝しましょうか。

お宝はお財布の中ではなく、やはり心の中にあるものですね。


プロとアマの違い

どんな職業、職種にもプロとアマがあると思います。

作家の遠藤周作氏は、その著書の中で「芥川賞も一種の新人賞と見るなら、実力のすべてを出し切って芥川賞をもらった人はその後は到底、プロになれない。

実力の七、八分で賞をもらい、なお余裕のある者こそ文学の長距離競争に耐えられるのだ。」と言っています。

玄人はだしと言う言葉がありますが、それとプロではやはり違うと思います。

では、何が違うのか?

一言で言えば、やはり気迫と言うか思い入れのようなものだと思います。

料理が上手な主婦とプロの板前の違いは、板前さんは、絶えず料理のことを考えていますが、(それこそ寝ているときも)主婦は、今日の晩御飯の献立を考えるくらいのものです。

遠藤周作氏は、こうも言っています。

「プロの一生とは不断の勉強の集積だ。

一日も休めない。勉強以外ほっとしている時も、棋士は将棋のことを考えているだろうし、力士も自らの相撲のことを思っているだろう。

プロ野球選手も同じであり、作家もそうなのである。

夜の夢の中でもそれを考えていることさえある。

プロとはそういうものだ。そして、その時の方が勉強の時間よりも大事なのだ。」

ホメオパシーの勉強を学校でしている時は、課題をこなすことに追われ、余裕のない生活をしていました。

プロになって、患者さんが何十人も来るわけでなく、物理的な時間で言えば、余裕が出来ます。

ところが、やはり机で症例を調べたり、あの患者さんに処方したレメディーはあれでよかったのだろうかと反芻したり、もし是が良くなかった場合は次はどうしようか?と、それこそ夢の中でも考えるような日々になりました。

料理を作っていても頭の片隅にはいつもホメオパシーのことがあって、上の空だったりします。

(余談ですが、そういう時に包丁で手を切る)

一人で生活しているわけではないので、ここにバランスの問題が出てくるのですが、プロとしてはある意味、そういう瞬間がままあっても不思議ではないのだと思います。

寝食を忘れて…と言う言葉も昔からありますが、そういう時期が必要なことも確かです。

これからが本物のプロになる正念場と思っている年頭です。


Choose your love, love your choice.

お正月二日目、こちらは至って普通の日です。
快晴で、お天道様は強い光を放っていますが、風は涼しく爽やかです。

昨日は、元旦と言うことと、私の母の誕生日と言うことで(めでたいかな、彼女は元旦の生まれ、年明けに年を取る)近くの中華レストランへ全員(総勢7名)で夕食を食べに行きました。

最後、お勘定をお願いすると、Fortune Cookieを一人一つずつ人数分頂けます。

何でもない中が空洞のクッキーでその中に紙が入っていてそれに言葉が書いてあります。

中国版おみくじのようなもの。

New Year と言うこともあって、良い言葉しか書いていないと思うのですが、それぞれなかなか意味深い物を頂きました。

この日記のタイトルが私が引いた言葉なのです。

これは正月早々縁起がいい!と喜んだのは言うまでもありません。

元旦にとても素敵な言葉を頂いたと天に宇宙に神に感謝したいと思います。

今年のテーマ「バランス」に加えて、この言葉を実践できるようにと思っております。

小さい紙に書いてあるのですが、お財布にそっと入れてあります。

迷いが出たら、この言葉を思い出すことにします。


2004年を迎えて

みなさま、明けましておめでとうございます。

日本より2時間早く新年を迎えたシドニーです。

大晦日はシドニー湾付近で恒例の花火大会。9時と12時に打ち上げられます。

ハーバーブリッジにも電飾と花火が仕掛けられ、毎年多くの人で賑わい、派手に新年を迎えます。

写真をご覧下さい。

hanabi2


hanabi


我が家は、夜の7時に日本人3家族で待ち合わせ、日本のお蕎麦屋さんへ。

そこで年越し蕎麦を頂き、その後、その中の一家族の家にお邪魔して、アイスクリームをデザートにテレビで花火観賞でした。

家に戻って、「聖なる予言」を読み終え、就寝したのが11時半。

2004年に変わるのを確認することなく爆睡した私です。


一年の計は元旦にあり、と昔から言います。
6時に起き、着替え、颯爽と?ウオーキングへ。今日怠けたら、1年間、ウオーキングが続けられそうにないので…

昨夜はパーティーが多かったのでしょうか、流石に誰にも会うことなく7時には帰宅。シャワーを浴びて、気持ちよく元旦の朝を迎えました。

台所とダイニングを見ると、昨日、掃除機をかけたにも関わらず、ゴミが目に付きます。

しっかり元旦の朝から掃除機をかけました。およそのんびり厳かとは無縁はお正月です。

が、しかし、私の今年の目標の一つは、家をキレイに保つこと。元旦からそれを守ったに過ぎません。

細かい具体的な目標は、別にして、私の今年のテーマは「バランス」です。

仕事と家庭のバランス、妻と母のバランス、ホメオパスとしての私と個人としての私。

全てバランスを欠いては、上手く回っていかないと思っています。

夢中になれるものがあるのは素晴らしいことですが、それも過ぎると周りが見えなくなります。暴走が始ります。

昨日も書いた「客観性」が問題になってくるのがここです。

柔軟な心と流されやすい心とは別のもの。

集中力と周りが見えないのも別のもの。

私人として、家磨きと自分磨きを忘れずに、ホメオパスとしての仕事を充実させたいと願う元旦です。

つたない、私の日記に今年もお付き合い下さいますよう、心よりお願い申し上げます。

皆様に幸多きことを祈りつつ…


プロフィール

lotushomeopathy

Author:lotushomeopathy
ロータスホメオパシーセンターブログへようこそ!
ホメオパシーに興味のある方もない方も、毎日の暮らしを
楽しむ術を一緒に考えませんか?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR