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年末に思うことー客観性とスタンスー

朝から曇り空の中、最後の掃除機かけと床のモップ拭き。我が家は日本でもはやりのフローリングなのです。

これは、オーストラリアではとても少ないタイプで、ほとんどが、キッチンや風呂場を除いてじゅうたんと言う家ばかりなのです。

フローリングはゴミや埃が目立つので、掃除の苦手な私でも、やる気にさせてくれるありがたい床です。

 
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さて、一年が終るに当たって、昨日、私の十大ニュースを書きましたが、今日は、もうちょっと振り返ってみようかなと思います。


楽天にHPを開いたことで色々な出会いがあり、そこで得られた事は想像以上のものでした。

それまで、全く知らなかった「精神世界」のこと、これからの私の人生に大きな意味を持つであろう、本との出会い。

「アルケミスト」と「ミュータント・メッセージ」は、今まで私が捜し求めていたものが全てそこにある、そう思わせる内容でした。

精神世界については、受け取り方によっては、宗教になってしまうであろうと、今はそう感じています。

宗教それ自体に悪いことは何もありませんが、人が集まった時、それが危険な方向を向くこともあり、やはり各自のスタンスが大事だと思っています。

のめり込むと見えなくなることが出てきます。それが人迷惑になることもある、その自覚はいつも必要だと思っています。


例えば、人に押し付けない、無理強いしないなどは基本的な態度です。

それは他人だけでなく家族に大してもそうです。


ここ、最近、相互リンクさせて頂いている。ライチさんやマドレボニータのマコさんの日記に「客観性」について言及されています。

「客観性」を失うと、グループで暴走する危険性が出てきます。だから、スタンスが大事なんだと思うのです。

楽天のHPは公共的なもので、どなたでも見る事が出来ます。
私の場合は、履歴を観ても、楽天の方よりゲストさんの方が多いようです。

書き込みを下さるのは、ほとんどが楽天の方なので、どうしても内輪のノリで書きます。

掲示板それ自体はそういう役割を持ったものだと思うので内輪のノリで楽しむことに問題はないと思うのですが、日記の記述に関しては、やはり何時どなたが読んでも、???の羅列にならないような最低限の配慮は必要なのだと思います。

私の場合、「ホメオパシーの世界」と銘打っていますから、その話を基本的に書き続けて行きたいと思いますが、誰でも知っている言葉でない以上、常に客観性を持った内容を心がけようと反省しています。

来年は、ホメオパシーのワークショップを開くべく、日本に行く予定にしています。

今のところ、4月、7月、10月と計画しています。

4月は、大阪、長野、静岡、東京の予定でいます。
来月にはもう少し詳しい内容で告知したいと思っております。

除夜の鐘を聞くことが出来ないのが残念ですが、(私の煩悩は百八つでは納まりませんが…)皆様、良い新年をお迎え下さい。

今年、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。


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十大ニュース

今日もシドニーは快晴、29度です。でも風が爽やかで、暑さは感じません。

春眠暁を覚えずと言いますが、ここのところ、妙に眠いリリーです。

一年の疲れが出たのよと都合の良い言い訳を作って、横になるリリーですが、猫のリリーもルナもよく寝ています。

やはり私の前世は猫だったのかも…
と思わざるを得ない状況です。

この時期になると、新聞などのメディアも重大(十大)ニュースを発表しますが、私の場合は…

順不同ですが、

*ホメオパシーのクリニックを開業したこと。
*楽天にHPを開設したこと。
*来年への指針を得られたこと。
*家族が増えたこと(ルナ)
*楽天を通してたくさんの友と知り合えたこと。
*更年期障害の冊子が出来上がったこと。(注:英語版のみ)


もっと細かいことを上げればきりがありませんが…

こうやって書いてみて思うのは、悪いことは何もなかった事でしょうか。

お陰さまで本当に充実した1年でした。



図書館のサービス

シドニーは快晴、気温26度と過ごしやすい爽やかな夏の歳の瀬を迎えています。

街に朝から買い物に。(と言うととても田舎に住んでいそうですが、家をあまり出ない私には、充分そんな感じ)

娘は大の本好きで、夏休みに入ってから、私の母に買ってもらった本も既に読み終わり、退屈この上ない。

そこで、市の図書館にも行ってきたのです。1家族で20冊まで借りられ、期限は3週間後。

さすが移民国家と思うのが、この図書館、色々な国の言葉の本が蔵書としてあります。

その中には勿論日本語も。たいていは日本人などからの寄付によるものらしく、古い物が多いです。最近のベストセラーなんていうのはありません。

その代わり、単行本になった漫画も置いてあります。

私は、そこで吉本ばななの「アムリタ」上下と、柳美里の「魂」を借りてきました。

娘は、英語のYoung Adultコーナーより4冊。

是で、年末年始の休暇が楽しめます。

観ると、中国語、韓国語、クロアチア語などの本もありました。

決して大きな図書館ではありませんが、欲しい本を全て買いきれるものでもないので、こういう行政サービスはもっともっと充実して欲しいですね。

歳の瀬と言う感じのない街の様子、バーゲンのセールのポスターだけが目立ちます。

遠くにホリデーに出かけた家族も多く、何となく閑散とした街の様子が、この国の年末の風景なのかもしれません。


ふたつの人生

シドニーにいると年末の慌しさとは無縁になり勝ちですが、皆さんのHPを読ませて頂いて、その気分を味わっております。

「ミュータント・メッセージ」からの引用も今日が最後です。

アボリジニとの旅が終った著者、マルロ・モーガンが最後の章「ハッピーエンディング?」で書いていること。

「今の私は、ひとりひとりに人生がふたつあることを知っている。ひとつは今まで学んできた人生、もうひとつは学んだ後の人生だ。」

通常、私たちは自分の人生は一つだと思っています。

でも、学ぶことで私達はふたつの人生を生きることが出来るのです。

学校での学びも大事な一つの学びですが、今の教育システムでは残念ですが、何かが欠けています。

その欠けているものを補うには、個人、個人の意識に頼らざるを得ないと思います。

どんな学びにも意味があり、何一つ、不必要なものはないと信じますが、それに気づく心や感情を持たないと、やはり意味のないものとなってしまう恐れがあります。

前にも書いたことがある、それが「生きる力」だと思うのです。

方程式を解く力も大事ですが、何かを学び取ろうとする心、何にでも関心を示す、探究心、たおやかな心を持ち続ける努力、そういったものが「生きる力」を養うのでしょうね。

それに気づいた日からふたつ目の人生が幕を開けるのでしょう。

なにも持たずに生まれ、
なにも持たずに死ぬ。
私は最高に豊かな人生を、
なにも持たずに目撃した。

ーマルロ・モーガンー


クリスマスの過ごし方

まさにホットなクリスマスを迎えた昨日。
今日はちょっと涼しいボクシングデー(祭日)となっています。

普通、西洋のクリスマスと言えば、七面鳥の丸焼きですが、オーストラリアは真夏のクリスマスなので、ホットミールではなくコールドミールが伝統的です。

つまりハムとか海老の茹でたものにサラダ。

クリスマスイブはフィッシュマーケット(築地市場みたいなところ)が朝から行列。この1週間で売れた海老が19000キロとラジオで言っていました。

我が家は、私が甲殻類アレルギーがあるので海老は先ず食べません。

昨日、午後からアフタヌーンティーに娘の友達の家に呼ばれました。歩いても15分くらいのところに住んでいる一家です。

そこの娘は一人っ子なので我が家の娘とは姉妹のような付き合いでそこに入り浸り状態なのです。

そこの家は、居候さんが多く、何時行っても賑やか。娘とは皆さんお馴染みです。

鍵をかけたことはないのでは?と言う状態の家でいつも誰かがいて、(それも他人です)来る者拒まずを実践しているおうちです。

気さくな一家で気を遣うこともなく、海に面した、ベランダでビールを飲みながら(アフタヌーンティーと言いつつも、紅茶なんぞは出ません。)チーズをつまみ、笑い話に花を咲かせます。

実は、これは私の夢。いつも誰かが家にいて誰もがリラックスできて、気を遣わずに出たり入ったり…

昔ならどこにでもあった風景なんでしょうが、最近は物騒と言うこともあって、なかなか実現が難しいでしょうね。

オーストラリアでも、こういう家は少ないですから…

お陰さまで海風に吹かれながら楽しい一時を過ごすことができました。


メリークリスマス!/ミュージカル堪能

昨日は、子供たちと一緒にミュージカル「ライオンキング」を観に行ってきました。

昼の部の1時からスタート、休憩を挟んで終ったのは3時40分、あっという間の時間でした。

オープニングから目が離せない状態、世界中、同じ舞台美術とコスチュームだと思うので、日本で劇団四季のをご覧になった方はお分かりだと思いますが…

ディズニーのアニメ映画はビデオも持っていますから何度も見ていますが、あれをどのように舞台化するのだろうと思っていましたが、意表を突く演出に、びっくり、感激の連続でした。

ご存知のように登場人物は動物のみ。昔なら毛皮の着ぐるみを着て、演じる人間の顔は見えないところですが、人間の顔を見せながらも一体化しているアイデアに脱帽でした。

長男などは、はじめはあまり乗り気ではなかったのですが、目は舞台に釘付け、もう一回観たいというほどでした。

最後、カーテンコールの時には、クリスマスイブと言うこともあって、出演者全員が「We wish your merry christmas 」と歌って、ラッキーでした。

あの舞台を作る想像力とアイデアはどこから生まれてくるのだろうとそれが不思議です。

出演者のプロフィールを見ると、移民国家らしく、様々な国の人々から成り立っていて、それだけでも観る者の目を楽しませてくれます。

おさるのラフィキは、黒人の女性(南アフリカ出身)が演じたのですが、その歌唱力は素晴らしかったです。

子役のシンバとナラもとっても可愛かったし。

大人も子供も大満足のミュージカルでした。

劇場は、シティーのチャイナタウンよりにあるCapitol Theatreと言うところ。

100年以上の歴史を持つ古い劇場で内装がとてもお洒落です。

以下の写真2点は、私が昨日劇場外で撮ったもの。

劇場の中の写真は劇場のHPより借りてきました。

まるでお城の中に居るような錯覚を起す内装で、小さいスペースですが、雰囲気抜群です。

ご鑑賞下さい。


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いざ、ライオンキング!

クリスマスイブです。

日本は、今夜、恋人と過ごしたり、特別な夜ですが、こちらはイブはいたって静かです。

今日は、シティーの劇場に子供たちと「ライオンキング」を見に行きます。

マチネ(昼の部)なので1時に始ります。本当は今年一杯の公演の予定でしたが、すごい人気と評判で来年も続行が決まりました。

日本では劇団四季がやっているようですね。

我が家の仔猫ルナの前足に手を入れて、抱き上げ、空にかざして「ライオンキング!」と言うのが我が家のトレンディー?

ライオンは猫科の動物なので結構、様になっています。

それでは、行って来ます。
明日、画像をアップしますね。


人はみんなユニーク!

今日もまた、「ミュータント・メッセージ」からです。
「またか?」なんて言わずにお付き合い下さい。

アボリジニとの旅の最中、夕食後はよく、ゲームをしたりして遊びます。競争するゲームではなく、全員参加の楽しいゲームです。

あるとき、大きな葉っぱをちぎり、ジグソーパズルのようにバラバラにしてそれを元の葉の形に戻すと言う遊びをしました。

順番に葉を色々置いてみて試していきます。最初に貰った自分の葉がどれだか解らなくなります。

いつも通訳をしてくれるアボリジニのオータが言います。

「心配することはないよ。人がみんなちがうように葉っぱもばらばらに見えるだけで本当はひとつなんだ。だから創作ごっこと呼ばれているんだよ。」

又、他の何人かが彼女に言った事を通訳してくれます。

「ひとつになるっていうことは、みんなが同じになるという意味じゃない。人はみんなユニークなんだ。

同じ場所を共有する人はふたりといない。

葉を完成するにはすべての部分が必要なのと同じように、それぞれの魂も特別な場所を持っている。

人は動き回ってもいいが、最後には各人がふさわしい場所におさまる。

まっすぐな道を探す者もいれば、どうどう巡りを楽しむ者もいる。」


私は大学まで日本でしか教育を受けたことがありませんが、「ひとつになるっていうことはみんなが同じになる。」と言う風に教えられたように思います。

何でも全員参加で選択の余地はなかったし、ちょっと違う意見を言ったり、行動をしたりすれば、異端児としていじめと言う道が待っていました。

例えば、文化祭でクラス全員で何かを作り上げようとする時、それぞれが特別な場所をもっていたでしょうか?

皆で何かをする=皆一緒、そういう図式があって、想像の余地がなく、それぞれのユニークさを発揮できるような環境ではありませんでしたね。

「これが青春だ!」みたいなドラマを地で行くようなグループがあったりしましたが、馴染めないでいつもちぐはぐな感情を抱いていたことを思い出します。

私はユニークなんだ、人と違って当たり前なんだ、この場所を所有するのは私しかいないんだ、そう思うことができたら、どんなに自分に自信を持つことができるでしょうか。

私は小学校2年生まではどちらかといえば、今で言う落ちこぼれ(この言葉、嫌ですねえ。)脚は悪いし、一学期間も入院するし、お勉強はできないし、われながらすご~く暗い子供だったと思います。

2年生の終りに一つの詩集に出会います。これは同じ位の年の女の子が書いた詩集で、彼女との共通点は一人っ子と言う点でした。

それから親の薦めもあって、毎日、詩を一つ書くようになりました。

その日あったこと、見たこと、感じたことなど数行の詩にします。

3年生になったある日、それを担任の先生に見せました。

その先生は、男性の新米教師、熱血漢タイプの生徒にも人気のある先生でした。

それまで、私はクラスでも目立たない女の子、休み時間に子供たちが先生を取り囲む中で、どちらかと言うと蚊帳の外状態だった私、ある日、勇気を出してその書き溜めた詩を見せました。

その時から私の世界が大袈裟ではなく変わったのです。

その先生は「○○(私の名前)はすごい。毎日書き続けてこんなに素敵な詩がたくさん。お前は偉いなあ。」と、とにかくとても褒めてくれたのです。

それまで先生に褒められることのなかった私は、ようやく学校での自分の居場所を発見した思いでした。

それから、極めて消極的だった私がどんどん積極的になり、4年生のはじめには、学級委員に自ら立候補することとなったのです。

そしてこのクラスはとても男女の仲が悪くいざこざばかり。
いじめられて泣く女の子が多い中、私は負けませんでした。

ある日、その時の担任が男子生徒に向かって「いじめるなら○○さん(私の事)をいじめなさい。彼女は強いから。」
とまでおっしゃる始末。

哀しいやら誇らしいやら複雑な気持ちだったことを覚えています。

自分のユニークさを発見し、自分の特別な場所を得ることが、どんなに大事か、身をもって知ったエピソードです。



家磨きと自分磨き

年末が近づき、掃除が一番苦手な私もやっと重い腰を上げています。

今日は、オーブンとグリルの掃除。
一度に全部やると途中で嫌になって雑になりますから、
少しずつするのがコツ?

よく、健全な精神は健全な肉体に宿ると言いますが、
健全な肉体は、健全な家で作られますね。

この場合の「健全な家」とは、精神性の問題だけでなく、
物理的に、ただ単に衛生的でキレイかどうかもとても大事だと思います。

過ぎたるは及ばざるが如しで、やりすぎは禁物ですが、
やはり清潔な家に暮らしたいものです。

自分が主婦となって、家事に責任を持つようになってから、日本で暮らしたことがないので、日本の子供のあるご家庭が
どれくらい、キレイなのか実はちょっとわかりません。

こちらはと言うと、実に落差が激しいです。

所謂、塵一つ落ちていない、ピッカピカ状態の家から、
爆撃の後か、泥棒が入った後かと言うようなお宅まで…

私自身は、あまりピッカピカのお宅へお邪魔すると、落ち着きません。あ~ここの奥さんは家には呼べないなあなどと
考えてしまいます。

逆にとっちらかった家に行くと、ちょっと、安心。
まだ、私の方がましかしら?って…(苦笑)

まあ、丁度良いのがまさに丁度良いのでしょう。

来年の目標は、やるべきことを後に延ばさない、是に尽きます。

昔から、「今日できることを明日に延ばすな」と言われているし、そう教えられてきました。

大人になってから、あるとき、「タイでは、明日できることを、何故今日するのか?」と言うと聞かされました。

「う~ん、これは私向き」と、怠ける言い訳にしていたことがあります。

是も一つの真理には違いないと思うのですが、来年はやるべきこと、やりたい事が目白押しなので、やっぱり今日できることを明日に延ばさないでやろうと思います。

クリニックも明日で終了、年始は1月5日から、それまで、家磨きと自分磨きに精を出します!

ちなみにこの自分磨きには、精神性だけでなく、ボディーも含まれています。
やっぱり女性は、美しくなくっちゃね…


動物の教え

先日以来、日記に書いているマルロ・モーガンの「ミュータント・メッセージ」、昨夜読み終わりました。

読後の感想はと言えば、「現代を生きる私達の責任」と「本当に学ぶべきものは何か?」について考がえさせられると言うことです。

アボリジニは、自然と文字通り共存しながら生きています。たくさんの動物がこのオーストラリア大陸で彼らと共に生活しています。

彼らはいつも自然からたくさんのことを学んでいます。
動物もその一つ。

オーストラリアと言えば、カンガルーが有名です。

カンガルーの赤ちゃんは、生まれたときはわずか、インゲン豆の大きさと重さでしかありませんが、成長して大人になると2メートルもの体長になります。もっと小さい種類のカンガルーもいますが。

アボリジニがカンガルーから学ぶ大きな教訓は「後ろには跳ばない」ということです。

カンガルーは後ろには跳ぶことができません。たとえ輪になったとしても常に前に向かって跳びます。

又、カンガルーは繁殖を自分たちでコントロールし、環境が整わないときは子供を作らないそうです。

すべるように動く蛇は、何度も脱皮を繰り返すことが教えになります。七つの時信じたことを三十七歳でもまだ信じるとしたら人生から得るものは少ない。

古い考え方や習慣や意見はむろん、時には仲間さえ脱ぎ捨てることが必要だ、と考えます。

でも、捨てることは人間にとってとても難しいレッスンでもあると、著者も言っています。

未練や執着をなかなか捨てきれないのが物を多く所有する現代のこちらの世界の人々の弱さなんですね。

欲張りになってはいけないというのが蜘蛛の教訓です。又、生活の必需品は美しい芸術品になりうることを蜘蛛は教えてくれています。

さらに、私達は自分の事に囚われがちだということも教えてくれています。

我が家の庭にも動物はいます。クカブラ(笑いかわせみ)、マグパイ、ロリキッドなどの鳥、蜘蛛、蝿、蚊、ミミズ、ねずみ、その他名前も知らない虫や鳥たち…

それらをじっくり観察して学ぶべき所を見つけられないのが「忙しい」が口癖の私。

忙しいのは心が滅んでいるからで、余裕を持つことを自ら拒否している自分がそこにいるのです。

くだらないお笑いTV番組を見ているより、一匹の虫を眺めている方がずっと教えられる事は多いはず。

それに気が付かない振りをして、自分への言い訳を言い募る私を来年こそは、いや今日からでも変えなくては、この本を読んだ意味がないですね。


我が家の猫は窓辺から外を眺めるのが好き。
二匹が仲良く並んで外を見ています。

彼らも虫や鳥から何かを学んでいるのでしょうか。


リリー&ルナ窓辺


噴水のある風景

昨日と打って変って、曇り空の涼しい一日。
ちょっと風が冷たいくらい、でもそれが心地よく感じます。

午前中は、あるセミナーへ。
休憩時間に友人と近くの駅前のコーヒーショップへ。

好物のCafe Late(カフェオーレ)を頂きながら、動物自慢の話に。

彼女は、ギニーピッグを2匹飼っていてその可愛さを主張。

私は勿論我が家の愛猫2匹の愛らしさを強調!

この手の話題は動物を飼っていない人、もしくは好きではない人にとって、とても馬鹿馬鹿しい話ですが、好きな人にとっては時間を忘れるくらい熱中できるテーマです。

コーヒーショップは、駅前の大きな噴水を囲むように何軒かあり、外に椅子やテーブル、パラソルが置いてあります。

この時期、外の方がずっと気持ちが良いので、勿論外でコーヒータイム。

ふと赤いランニングを着た男性(年のころは30過ぎ?)がジョギング中。

汗をかいたのでしょう、噴水の水で顔を洗い出しました。

「キャー汚い」、が私達の感想。彼は何食わぬ顔で走り去って行きました。

次に上下アーミー服を着た20代の男性が噴水に近づき、持っていたアイスクリームのプラスティックの入れ物に水の中からお金を拾っては入れています。

ここは、トレビの泉ではありません。でも、噴水と見るとお金を入れる人がこの国にもいるようです。

そしてそれを何食わぬ顔で拾う人も…

人の少ない土曜日の駅(ここはビジネス街なので週末は閑散としています。)の一こまでした。

今日から長期の休暇に入る人が多いようです。お隣のご家族もビーチに旅行に出たようです。

我が家は自宅で静かなクリスマスを迎える予定です。


誕生日に何を祝うか?

何時ごろから誕生日を祝う習慣ができたのでしょうか?

節目、節目でのお祝い(元服のような)は昔からあったでしょうが、毎年、プレゼントを貰いケーキを買ってご馳走を食べるという習慣は最近のものなのでしょう。

アボリジニとの旅の様子を書いた「ミュータント・メッセージ」の中で、著者、マルロ・モーガンとアボリジニが焚き火を囲んで、誕生日について話し合う記述があります。

現代の我々の誕生日の祝い方を聞いたアボリジニが、「何故、そんなことをするのか?」と質問します。

「我々にとって祝いとは特別なことにたいしてするものだ。歳をとることは特別なことではない。何も努力しなくても自然に歳をとっていくではないか!」と言います。

マルロは「歳をとることを祝わないとしたら、何を祝うの?」と聞きます。

「よくなることに、去年より今年のほうがさらに賢くていい人間になったら、それを祝うんだ。それは自分だけしか知らないことだから、自分でパーティーの時期がきたとみんなに告げるんだ。」とアボリジニが答えました。

私達は、どう暮らそうとも、365日(366日)が経てば、一つ、歳をとります。

歳をとることを祝うのではなく、生まれてきたことに感謝する日だとこの歳になって初めて知りました。

さらに一歩進んで、去年より今年の方がずっと賢くなっていい人間になって、そして生まれてきたことを感謝できたら、これ以上の幸せはないでしょう。

ただ、感謝するだけではやはり進歩はありません。感謝も大事ですが、いえ、感謝すればこそ、向上し続ける努力が求められるのだと思います。

この向上とは大きなことでなくても良いはずです。

小さな積み重ねでしか大きなものの完成はありえないと思います。

一滴の水が集まって大河となるように、毎日のささやかな積み重ねがその人間の大きさに繋がっていくのでしょうね。

アボリジニのこの部族の人々は固有名詞の名前(太郎とか花子とか)を持ちません。
彼らの名前には全て意味があって、その人が持っている他の人より秀でた能力に付けられるようです。

例えば「裁縫の名人」とか「石探し名人」とか言った具合です。

誰でも何かしら、特別な能力が備えられていて、それをお互いに発揮することでこの部族は成り立っています。

現代では何か一つに秀でることより、オールマイティーに優れている人が重宝されてきました。

だからこそ、「お受験」なんていう言葉も生まれます。

誰でも一つはもっているその能力を見つけ、伸ばし、それが、正しい場所(ポジション)に配置されたなら、人はもっと生きやすいでしょう。

今でもまだ、遅くはない。そう思っています。


兄弟の確執と未熟な母

仔猫のルナが来て、10日が過ぎ、リリーもようやく受け入れようと言う態度を示すようになりました。

最初の何日かは、獣医さんやペットショップの店員さんのおっしゃるように、常にリリーを立て、彼女を一番と思い込ませるように努力して…

結構気疲れしました。

これは、まるで、第二子が生まれたときの第一子への対応とそっくりで、懐かしく思い出しながら、はて、これほど、長男に気を遣ったかしら?とちょっと反省もしました。

動物はどの種も、同じ、誰もが自分が一番可愛がられる存在でありたい、それを確認したいと思うのですね。

小さい子供も動物もそれを言葉で明確に表すことはしませんが、身体全体でその意思を表示しています。

リリーがどんなにルナに対して攻撃的な態度を見せようとも、絶対に叱ってはいけないと獣医さんに堅く言われました。何をしても「Good Girl]と言いなさいと…

長女が生まれてすぐ、私の両親に連れられて、長男が病院にやって来たとき、赤ちゃんの長女を見て、いきなり髪のない坊主頭を思い切り爪で引っかいたのを今でもよく覚えています。

こちらも思わず、叱ってしまったことも思い出します。

そこまで寛容に慣れなかった未熟な母がいました。

長男に対しては未熟な母で申し訳なかったなあといつも後悔の思いが心のどこかにあります。

それでも素直に、家が大好きな、部屋に閉じこもることのない息子に育っています。

それはオーストラリアと言う大陸のお陰でしょう。無意味な他人との競争や他人との比較をせずに育児が出来たらからに他なりません。

我が家は今日も3人の子供のわれこそはと言う喋りと二匹の猫の鳴き声に賑やかな時が流れ、

そして母の「うるさ~~~~い!」と言う怒声にさらに拍車がかかります。


リリーとルナのツーショット、ご覧下さい。


リリー&ルナお座り

lilly&luna sleeping





心で通信すると言うこと

夏らしい青空がどこまでも続くシドニーです。
やっと、夏らしくなり、なたす大好きな私にとっては、最高の季節です。

最も、若い頃は、冬が好きだったのですが、単なる年のせい?


この日記にリンクして下さっているエムツーさんやかめちゃんが前にも「ミュータント・メッセージ」と言う本が素晴らしいと推薦してくださっていました。

11月の日本人学校のフェイト(バザーのようなもの)で古本でそれを見つけてから、最近ようやく読む時間が出来て、現在進行中です。

途中ですが、もう素晴らしいの一言。

これはアメリカで社会福祉活動や健康問題を扱っていた一一般女性(マルロ・モーガン)が、ひょんなことからオーストラリアでアボリジニの一部族と生活を共にし、そこでシェアした色々な経験や気づきが書かれています。

冒頭にアメリカインディアンの言葉が載っています。

「最後の木の一本が切り倒され、最後の川が汚染され、最後の魚が捕らえられた後。そうなってはじめて金銭は食べられないと気づくだろう。」
-クーリー・インディアンの予言ー

本は読む人によって感じることも感じるところも違うものですが、又、それが書き手の望むところでもあるのではないかと思うのですが。

私が、何かを感じたところには付箋をつけています。

その中から一つをご紹介したいと思います。

アボリジニと彼女が砂漠のど真ん中を旅している時、彼女にとって、(これは私たちにとっても)信じられない一つの出来事が起こります。

この部族は勿論現代的な通信手段を持ちません。

携帯は愚か、電話も手紙もありません。そもそも文字が存在しません。

ある日、一人の若者がグループを離れ一人、カンガルーを探しに別の道を行きました。

しばらく歩いてから、グループの族長が立ち止まってひざまずきます。彼はひざまずいたまま両手を前に差し出してそっと揺すりました。

族長は、カンガルーを捜しに行った若者からメッセージを受け取っていたのです。「カンガルーの尻尾を切っても良いかどうか」と…

族長は無言で返事を送ります。

彼らは、離れたところに居る者とテレパシーで通信するのです。

このメンタルテレパシーを彼らが活用できるのは、嘘をついた事がないからだそうです。

作り話、曖昧な真実、想像上の思い込みなどとは無縁の生活を送っているからなのです。

全く嘘をつかないので、何も隠す必要がなく、自分たちの心を開くことを恐れず、互いに進んで情報を交換しようとするのです。

どうしたらそうなれるのでしょうか?

著者もそれを質問します。

答えはこうでした。

「二歳の子供が2人居て、一人がおもちゃー例えば紐で結んだ小石ーで遊んでいたとする。

もう一人の子供タそれを取りに行こうとすると、大人達がじっと見つめているのを感じる。

その子は許可なく何かを取るのはいけないことだとわかる。

おもちゃを持っていた子も人と分かち合うこと、独り占めにしてはいけないことを学ぶ。

その子はもう充分に楽しんだ記憶が心に残っている。

つまり、物自体ではなく遊んで楽しかった感情が何時までも残る事が求められるのだ。」

こういう体験を繰り返すことで、人間は、人と人が心で交信できるようになるのですね。

日本には昔から、「目は口ほどに物を言う」と言われています。

かつての日本人はもっと他者の思い、感情を敏感に感じ取る能力に優れていたのでしょう。

でも、今は、セミナーなどに行っても、どちらかと言うと、「自分の気持ちを相手に言葉にして伝えないと思いは伝わらない。」と教わります。

思いを言葉にすること、口から発声させることが求められる世の中になっています。

逆に言えば、そうしないと他者の気持ちを理解することができないからですね。

かつては、きっとどんな人間もメンタルテレパシーで人と交信することが出来たのに、そういう体験をしないまま、大人になり、嘘をつかないどころか、取り繕って自分の気持ちを隠すように生きるようになって、その大切な能力を失ってしまったのでしょうか。

この部族「真実の人」族は、喋るために声があるとは考えていないそうです。

会話は頭と心の中枢センターで行うのです。

声が話すためにあるとしたら、くだらないおしゃべりに流れがちで精神的な会話がしにくくなると著者は考えます。

声は歌うため、祝うため、癒しのためにあるのだそうです。

この章の最後に彼女は言います。

「彼らは私のテレパシーを高めようとしてくれたが、心や頭になにか隠そうとする部分がある限りうまくいかないことがわかった。

私は自分を批判せずに許すこと、過去から教わることを学ばなければならなかった。

全てを受け入れ、正直になり、自分を愛することがどんなに大切か彼らは示してくれた。

そうすれば人に対しても同じようにできるからだ。」












Christmas in Sydney

今朝は9時前に家を出て、近くのショッピングセンターへ買い物に。

道路はいつもに比べるとずっと空いていて、早くもホリデーに突入した人々が多いようです。

それに反して、ショッピングセンターの駐車場は既に入り口に車の列。

どなたさんもクリスマスプレゼントの買い物に大忙しのシドニーです。

真夏でも、クリスマスはクリスマス!

ツリーもあちらこちらに飾られて、気分は上々。

但し、日本のように、クリスマスソングが街を流れることはあまりありません。

ツリーや他の飾りつけも今では日本の方がずっと豪華版ではないでしょうか。

キリスト教徒が最も少ないであろう日本で何故これほどにクリスマスが盛り上がるのか?

やっぱりコマーシャルベースなんでしょうか…

アドベント(待降節)は、キリストの誕生を祝うための準備期間、ショッピングに浮かれる時間ではありませんが、それはもはや致し方のないことでしょうか。

子供たちがサンタクロースの正体を知ってしまった我が家にはサンタクロースは来ません。

両親、祖父母からのプレゼントはありますが…

折角本物の煙突もあると言うのに、サンタクロースが居ると信じていた頃が華だったのかも知れませんね。

オーストラリアにサンタクロースが来るのは、24日のイブですが、ヨーロッパではセント・ニコラスデーの6日にプレゼントが来るそうです。
是がサンタクロースの発祥。

25日までプレゼントはツリーの下に置かれ、子供たち(いえ、大人も)は開ける日を首を長くして待つようです。

ツリーと言えば、合成樹脂で作られた、毎年しまっては使うものが一般的になっていますが、シドニーでは12月になると、生のツリー用の樅の木が売られます。

大きさも色々あります。

是だと終ったあと、薪として活用できて、しまう場所も必要なく、又本物で、雰囲気も抜群です。

こちらも根強い人気があるようです。

子供にとっては嬉しいクリスマス、大人にとっては、懐の寒いクリスマスです。

シドニーのツリーをいくつか写真に収めました。

ご覧下さい。

チフリータワーのツリー

日系企業も多く入っているチフリータワーと言うビルに設置されたクリスマスツリー。


マーティンプレイスのツリー

シドニー名物のツリー。マーティンプレイスと言うところに毎年飾られます。勿論、夜には電飾が彩りを添えます。


スターシティーのツリー

シドニーのカジノ「スターシティー」に設置されたツリー


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今日の幸せ:

朝の清々しい空気と「おはよう!」の挨拶

普段、ドア to ドアで滅多に歩かないシドニー暮らし。
来年の日本行きに体力の不安を感じている私は今日の朝から
歩き始めました。

たくさんの歩いている人にびっくり。知らない人ばかりですが、皆さん、快く「おはよう!」と挨拶します。

健康増進、スタミナ増進、そして気持ちの良い挨拶、いいこと尽くめの朝の散歩です。


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左の趣味のページにクリスマスの小物のページをオープンしました。お時間があったら是非、ご覧下さい。



他者への依存を克服する

今日は、午前中にシドニー領事館へ行って来ました。

子供3人のパスポートを更新するためです。

先ず、先週行って、申請用紙を貰い、家で記入し、本人にサインさせ、今日持って行ったわけです。

出来上がるのが来週なので受理には本人が出頭しなければいけないので又、行きます。

合計3回、ご苦労なことです。

子供たちは過去5年、ほとんど国外に出ていません。
この先の5年間も出る予定はほとんどありません?

日本にいて、外国に行く予定がなければパスポートを作る事はありませんが、外国にいる日本国籍を持つものは旅券を所持することが法律で義務付けられているので、スタンプ(入出国スタンプ)の一つもないパスポートを作り続けています。

この費用が家族ですとバカになりません。

大人は10年のパスポートが作れるようになったので私は後5年大丈夫ですが、写真は随分と古くなるでしょうから税関で呼び止められるかも?

パスポートと言えば、海外旅行、海外旅行と言えば、飛行機ですが、飛行機が苦手と言う方も結構おられると思います。

私が初めて飛行機に乗ったのは、高校2年生で、フィリピンに行った時です。

どんなに興奮して嬉しく楽しかったか、それは今でも覚えています。

それから一人で飛行機に乗ったことも度々。

日本国内も一人旅をずっとしていたので一人で旅をすること、乗り物に乗ることは全然問題なしでした。

結婚して、すぐ子供が出来て、それからは一人で飛行機に乗ることはなくなりました。いつでも子供が一緒、又、子供連れの飛行機の旅は、楽しいと言うよりも地獄に近いもの?であり、又、いつか一人で飛行機に乗ってゆっくり旅を楽しみたいとずっと思っていました。

おととし、櫻の頃、それが実現しました。十何年ぶりかの一人旅。

準備の段階では有頂天、楽しみに乗り込んだのですが、結果は…

パニックを起す寸前の不安状態でした。

独身の頃は、一人旅が当たり前、そして家族が出来てからは常に誰かが一緒が当たり前。

そのギャップに心と身体がついて行かれなかったようです。

その時、もう、一人では乗れなくなってしまったと自信喪失、愕然としました。


そして、今年の3月、又一人で日本に行きました。
風邪を引いていたのを無理して乗って、ただ寝ているだけと言うのもありましたが、前回の不安症はどこへやら…

帰りは体調も戻り、楽しんで飛行機タイムを過ごすことが出来ました。

原因を自分なりに分析してみると、家族を得てからの自分は気が付かないうちに他者(家族)へ依存して生きていたのですね。

それが、飛行機と言う、ちょっと日常と違った異質の空間に放り込まれた時に、神経が過敏に反応したのでしょう。

誰も頼れない、知らない人ばかり、喋る人もいない、そんな状況に耐えられないようになってしまっていたのでしょうか。

独身の頃、当時はパニック障害と言う言葉がまだなかった頃、今思えばそれによく似た症状が時折あって、医者には自立神経失調症だと言われていました。

それが家族を持つことで、他者に依存することででいつの間にか封印されていただけで、治ったわけではなかったのでしょうね。

去年から、ホメオパシーのレメディーを自分でも色々飲んできていたこと、そしてこの勉強、資格を取ることで自分に自信が出来たこと、そうやっていつの間にか、一人でも又飛行機に乗れるようになっていたのだと思います。

来年は、何度も日本行きの飛行機に乗りたいと思っている私ですが、その時間を充分に活用して、楽しい9時間になるでしょう。

今から、もう興奮しています。


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今日の幸せ:

シティーに向かうバスの中でお年寄りが乗ってきて、若者の隣に座りました。

そのおばあちゃんが降りる時、若者も席を立ったので降りるところが偶然同じなのかなと思って見ていると、そのおばあちゃんがステップを安全に降りれるように介助しただけで又、席に戻ってきました。

こういうシーンは何度見ても乗客全員にほのぼのした暖かい気持ちを分けてくれます。


ミニスカートの女

かれこれ、2,3ヶ月前のことでしょうか。

よくこの日記にネタを提供してくれる、オーストラリア版「クローズアップ現代」のような番組で女性のミニスカートについて取り上げられました。

シドニー近郊のとあるショッピングセンターにたぶん40過ぎ、50近い?お年の女性がミニスカート、それも超ミニで現れました。客観的に見て、素敵な脚とは言いがたい…

ショッピングセンターをマネージメントする会社の人がその女性を見かけて、なんと注意したと言うのです。

「貴女のような年齢の方がミニスカートで当ショッピングセンターを歩いていただいては困る。」と…

女性は当然、反論します。

「私が何を着ようとそれは私の自由。ショッピングセンターにとやかく言われることではない!」

マネージャー曰く
「場所をわきまえた服装が必要だ。」とのこと。

さて、皆さんはどう、思いますか?

日本では、よほどのツワモノ女性でないと、40過ぎて、ミニスカートを穿けと言われても、たぶん穿かないでしょう。

ところがこちらは何でもあり、まさに自由?の国なので、裸はわいせつ罪に引っかかるでしょうが、何を着ようとそれは確かに自由です。

ただ、美意識の問題ですね。
私なら穿きません。

何を着ても自由ですが、折角お洒落するなら、少しでも自分が引き立つように見える工夫が大切で、わざわざ、この脚を見せる気にはなれません。

彼女が穿くのは確かに自由ですが、それを制限する権利がショッピングセンターにあるのかどうか、これは論議を呼んでいたようです。

先日、車を運転していて、バスの停留所に若い女性(たぶん高校生くらい)がミニスカートで立っているのを見ました。

それはキレイな脚で、清潔なお色気があり、女性の私でも「いいなあ。きれいだなあ。」と思いました。

やっぱりそう思われているうちにせいぜい脚をお見せして、それが華と言うものですね。

私が18くらいの頃は残念ながらミニスカートは流行っていませんでしたから、時期を逃しました。

スカート丈と景気は関係があると聞いた事があります。
やっぱりミニスカートは不景気でしょうか?


お見合いにも似た興奮

昨日は、楽天日記を通してお知り合いになった方と電話でお話をしました。

あいにく、こちらはすごい雷で途中混線があったりしましたが、無事、お互いの声と意思を確認することが出来ました。

お電話すると決まった時からもう、ドキドキで、これぞ、お見合いの前の心境に違いない!とお見合い経験のない私は勝手に想像していました。

日記を通して相手の方がどんな方か皆さん想像なさっていると思います。

でも声を聞いただけでも、あ~思った通りの方だと安心して、最初の緊張は何処へやら、打ち解けてお話できるから不思議です。

今度はそのお姿を想像してしまうわけですが、来年お会いする時のことを考えるともっとわくわくしますね。

この休みにやろうと計画していたことがお陰さまで明確になり、良い意味での緊張とプレッシャーが元気と勇気を与えてくれるようです。

馬力を上げて、頑張らねば…


さて、昨日、雷の好きな方と呼びかけしたら思ったより多くの方が、「私も好き!」と言って下さいました。

ちなみに雷が苦手なのはPhosphorusレメディーの特徴です。


しかし、昨日の雷はすごくて、午後2時くらいに窓の外でバチっと言う音とともに火花が散るのが見え、そして間もなくすごい音。これは落ちたね、と長男と話していたら、落ちた先は、次男の小学校の講堂でした。

次男が学校から帰って、楽しそうに報告していました。
幸い、生徒が講堂で催し物を終った直後のことだったらしく、けが人はいませんでしたが、一人、ショックで気絶した男の子がいたそうです。

雷の落ちた後、講堂を触ると、電気ショックが感じられ、バチバチっとしていたそうです。

恐るべし、昼間の雷でした。

今日は朝から晴天、思いっきり夏の一日となっています。



クリスマスコンサート

今朝は、雷の音で目が醒めました。今もまだ雷が鳴っています。不安定なお天気が続くシドニーです。

昨日は次男が小学校の学芸会&クリスマスコンサートみたいな催しがあり、出かけてきました。

こちらの学校は新学年のスタートが2月で学年が終了するのは12月です。
終業式でもあり、学芸会でもありクリスマスコンサートでもあり…

各クラスが一生懸命出し物の練習をしてこの日に備えます。
たいていは歌と踊りに凝った衣装なんですが。

学校の講堂に腰を下ろし、何気なく壁を見ると、複製でしょうがエリザベス女王の油絵が額に入って飾ってありました。

前からあったのでしょうが、気づいたのは今日が初めてです。

オーストラリアはイギリス連邦の国なので国家元首はイギリスの王様です。王様が、ここに年中いることが出来ないので代理として提督が派遣されるのです。

普段は、イギリス連邦に属していると意識している国民は少ないと思います。
何時だったか英連邦から独立しようと投票が行われましたが圧倒的多数で否決されました。

王様を国家元首だといちいち意識しているわけではないけれど、いまさら変えるほどの事でもない、そういうのがあっても良いじゃないか、それが大半の国民の気持ちだったようです。

日本にも天皇制度がありますが、学校に天皇陛下の写真を飾ることは戦後なくなったでしょう。今、もしそのような行為をすると、即、右翼と思われかねません。

私個人としては、王室や皇室の存在と言うものは決して悪いものだとは思いません。

戦前のように現人神扱いするのは間違いだと思っていますが、そういう象徴的なものがあると言うのは気持ちの上で決して悪い物ではないように思います。

アメリカは自由が象徴の国、勿論王室も皇室もありません。

その代わりをしているのがケネディー一家だと聞いた事があります。
つまり、やはりそういう手の届かないちょっと我々と立場が異なる人間の存在にアメリカ国民と言えども憧れがあると言うことです。

クリスマスコンサートに行ってちょっと目に付いたエリザベス女王の絵に色々考えさせられた日でした。

さて、そのクリスマスコンサート、締めくくりは生徒全員が舞台に上がり、クリスマスソングの合唱です。

この時、年をとってちょっと涙もろくなった私は、何となく、目頭が熱くなり、前が見にくくなります。

こうやって、今年も無事にクリスマスソングを歌える子供に自分に全てに感謝の気持ちで一杯になります。

小さな学校ですので、(過疎地ではないのですが)全校生徒と言ってもこの程度です。
お写真、ご覧下さい。


Xmasincastlecove



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今日でlunaがやってきて1週間。
今朝、こんなショットと撮れました。
ようやく慣れた義姉妹です。

lilly&luna


今日の幸せ

雷って結構好きなんです。
これもあるレメディーの特徴です。
それは、Carcinosinum(癌レメディー)とSepia(いかすみ)です。
雷の好きな方他にもいらっしゃいますかぁ?


レメディーを選ぶ道のり

昨夜は日記を書くつもりが、長男の学校のスピーチデー(終業式のようなもの?各学年、各教科などに賞があって授与されます)があって、一日ばたばたして、是なく断念。

今日は、朝からむ~~っとした湿度の高い日となっています。

さて最近、個人メールの方にホメオパシーの治療についてのご質問を頂きました。

ホメオパシーのコンサルテーションでは、通常、初めていらし方には、根本体質治療を施します。
ただ、それでも症状によっては、対処療法的なレメディーの選択が行われることもあります。

(前にお話したようなにきびの例がそれです。)

たいていは、長い期間の症状を持っていらっしゃるので、精神面と身体面の両方からアプローチして、いかに患者さんの気持ちをほぐし、こちらにすべてをあずけてもらえるかが、鍵となります。

今日はもっと具体的にレメディーを選び出す課程についてお話しようと思います。

最低1時間の最初のコンサルテーションで症状と言えるものは何十個も出てきます。

例えば、便秘でいらっしゃるとします。
その便秘について事細かく、しつこいと思われるほどお聞きします。便の回数、色、臭い、固さ、形状は勿論のこと、時間帯や気候の影響、ストレスとのかかわり、食生活など多岐に渡ります。

あまりホメオパシーについての知識がない場合、便秘については詳しく、躊躇うことなくお話下さいますが、それが心の問題に掛けて質問するようになると、ちょっと表情をこわばらせる方もいらっしゃいます。

便秘と私の夫婦関係と何の関係があるの?そう言う気持ちがお顔に出ます。

ここが難しいところで、さりげなく、不快な思いをさせずに何とか聞き出すようにします。あまり言葉はいりません。

いかに相手に多く喋らせるかがポイントです。

こうやって集めた情報は何十、時には百項目にもなります。

それを全て、レパートライズ(ホメオパシーのバイブル、辞書のようなもので調べるやり方)すると一日掛かってもレメディーを選ぶことは出来ません。

そこで、たくさんの情報の中から「これは!」と思うものを大体10個選べ場充分だと言われています。

例えば、「夫が飲んで遅く帰宅する日が続くといつもひどい便秘になる。」と言う症状などは、大変具体的でかつ、個性的なものなので採用となります。

逆に、「水分をほとんど取らないので便秘です」と言った場合には、当たり前のことなので取り上げません。レメディー以前に先ず、水を飲むことをお薦めします。

学校でホメオパシーの勉強をしている時に、ビデオによるケーススタディーをします。

これは、実際に先生のクリニックで撮影されたものを見て、レメディーを当てると言うものです。

大体、いつも10人の学生がいれば3種類くらいのレメディーが答えとして出てきます。

集めた情報の中からどれを選ぶかでレメディーは変わってきます。

そのうちの一つは、先生が実際に処方したものと大体同じになります。

では後の二つは間違いか?と言うとそれは誰にも分かりません。

算数の問題と違い、これだけが正解と言うのはホメオパシーの場合ありません。

ドレも当たらずとも遠からずと言う状態です。

なぜなら、一人の患者さんに同時に3種類のレメディーを試して、ドレが一番効いたかと言うことを調べることが不可能だからです。

だから本当の意味での正解は、神のみぞ知ると言うことになります。

ドレも当たらずとも遠からずですから、効くことは間違いありません。その期間や好転反応、リアクションなどに違いは出ますが。

従って、プロのホメオパス同士でも、一つのケースに対して、レメディーが分かれることはよくあります。

人間のすることですからこれはいた仕方のないことだと思います。

西洋医学の現場でも、医者によって処方が違うことはいくらでもあるのでやはり同じなのだと思います。

だからこそ、セカンドオピニオンが重要になってくるわけです。

これは、代替療法でも同じことだと思います。

従って、どのレメディーがその方の根本体質を表すものかもホメオパスによって多少の違いが出てきます。

ただ、患者さんにもどれが良いのかははっきり分からないので、それをあまり気にする必要はないだろうと思います。

ホメオパス同士で処方する場合には、たいてい、レメディーを知らせません。
そのレメディーの知識が先入観となって、うまく対応しないことがママあるからです。

又、他にもご質問などありましたら、是非お問い合わせ下さい。



夫が妻を太らせる!

今朝のニュースショーで、アメリカの関係性専門のカウンセラーがこう言うテーマで発言していました。

統計によれば、既婚女性の方が独身女性より肥満率が高いそうです。

これは何故か?夫に原因があると言うのです。

無頓着な(気配りの無い)、そして鈍感な破壊的な夫の言動に傷ついた妻が「太る」と言う症状を出しているのだと言うのです。

このカウンセラーは男性です。女性カウンセラーが言うと、自己弁護かなと取られかねない発言ですが、男性カウンセラーがそう言うと「そうだ!、そうだ!」と言いたくなります。

彼曰く、今まで出会った中で一番孤独な人間は、既婚女性だそうです。

太った既婚女性が一番簡単にキレイになる方法は、不倫(浮気)だそうです。

これをするとどんどんキレイになるそうです。

去年の映画でリチャード・ギアとダイアン・レインの「Unfaithful」と言うのがありました。邦題はちょっと解りませんが、私もこの映画は見ました。

妻が年下の若い男と不倫になり、どんどんセクシーになっていくのです。その象徴が下着でした。

今日のカウンセラーも言っていました。女性が綿の下着を脱ぎ捨てて、シルクの下着に変える、これが象徴的なことだと。

不倫でしかそれを得られないのは不幸だと。
何故、夫は妻を褒められないのか、賛辞を送り続ければ妻が太ることはないそうです。

今からでも遅くはないと。
たとえ太っていても「君の爪はきれいだね」「君の髪の毛はつややかで美しいね。」などと、何処か褒めることだそうです。

釣った魚に餌を上げるのを忘れてしまうのは何処の国の男性も同じようです。

ニューヨークとシドニーを結んでの生中継インタビューでしたが、このカウンセラー、とても熱弁を振るっていました。

今日の日記を男性方が読んで下さると宜しいのですが…

でも、女性も誰のためでもない、自分のために美しくあり続ける努力を惜しまないようにいたしましょう!

ところで、我が家の仔猫、Pekoは名前を改めLuna(ルナ)になりました。」よろしく。


猫も助ける、ホメオパシー

リリーの妹がやって来たのはおとといの土曜日でした。

週末だったので、子供たちもいるし、人手に困ることはありませんでした。

リリーは、不機嫌極まりなく、唸りっぱなしで仔猫が近づくと、「シャー!」と鬼のような形相になり声を出します。

仔猫の方はお構いなくそこら中を走り回り元気一杯、そしてコテっと誰かの膝の上で寝ます。

リリーはとてもフレンドリーな猫で人見知りは一切しません。その代わり、猫見知りが激しく、よそ者(猫)を受け付けません。

今まで蝶よ華よとこの世の寵愛を欲しいままにしてきた当人(当猫)にとっては、青天霹靂とも言うべき出来事だったのでしょう。

長女が生まれたときの長男の反応を思い出します。

昨日から、リリーには彼女の根本体質レメディーであるPulsatillaを飲ませていますが、まだ、うなり声は続行中。

そして、来た日にはドライブと環境の激変でか、仔猫ちゃんが5,6回吐き続けました。慣れるしかないかと放っておいたのですが、昨夜の真夜中と今朝、ひどい下痢をしています。

トイレットトレーニングも中途半端なので、そこかしこにされては大変とレメディーを上げることにしました。

この下痢は、食中毒や風邪とは違い、ストレスから来るもの、つまり神経性下痢だろうと予測し、Arg-nit(銀)を上げました。

勿論、人間も同じで、テスト前の緊張や、プレゼンテーション、面接など、緊張を強いられる場面でのストレスには、このArg-nit(200cを使います)がとても効果があります。

一家に一つ、Arg-nitです。

お昼にも、缶詰のキャットフードを食べていましたが、下痢はしていないようなので、効果あったかな?

夕方には、買って来たペットショップと提携しているVet(動物病院)に健康診断に連れて行きます。

買ってから3日以内の検診はペットショップ持ちで飼い主はフリーと言うありがたい恩典があります。

この仔猫も大変な寂しがりやで、ちょっと人の姿が見えないと、小さい、か細い声でミャーミャー鳴いて捜します。

今日から日中一人で、二匹の猫の面倒を見ていますが、気を遣ってこちらが疲れてきています。

リリーが早く仔猫を受け入れてくれると良いのですが…

今日の幸せ:
リリーの寝顔と仔猫のぬくもり


誰が裁くか?/リリーの妹がやって来た!

新聞記事にこんなものを見つけました。

「アボリジニをアボリジニが裁く新制度」

犯罪を犯せば誰でも裁判所で裁きを受けなければいけませんが、民族的問題を抱える多民族国家であるオーストラリアでは口で言うほどこれは単純な問題ではないようです。

アボリジニの弁護士や検事、裁判官と言うのは極めて数が少ない(もしくはいない?)ようで、実際には白人に裁かれているのが大半だったようです。

アボリジニにとっては、犯罪の公正な裁きと言うよりは、白人対アボリジニの差別問題と捉えられていたようです。

それを、アボリジニコミュニティーの街で試みとして、アボリジニ犯罪者は、アボリジニ社会の代表者、被害者、被害者家族と話し合い、アボリジニ判事が判決を下すシステムを導入したのです。

29歳のあるアボリジニ男性は、15歳の頃から刑務所を出たり入ったりの酒乱で逮捕暦50件以上。

同じアボリジニの人々から裁かれて、初めて罪の重さに気づいたと言います。

「長老から諭されるまで、白人対アボリジニの問題だと思っていた。でも、長老が間違いだと言うのなら、本当に間違いだと心から解った。」
と言ったそうです。

彼は今、改心して恋人と子供たちに囲まれて芸術家としてのキャリアを磨いているとか。

裁かれる相手によってこれだけの差が出るのですから、いかに人間の心が、聞く耳をもつか持たないかで違うかが解ります。

長い、先住民迫害の歴史の中で、白人に対する、思いの複雑さが、犯罪を繰り返すと言う社会問題を生み、その白人に裁かれることで、余計にまた犯罪に走ると言う悪循環。

それを断ち切るために導入された新しいシステムだと思うのですが、余計に白人社会とアボリジニ社会の隔絶を産むことにはならないのだろうかとちょっぴり危惧を感じます。

元来、人間が人間を裁くことに無理はあります。
でも、誰かが裁かないと、犯罪を犯した人を野放しにすることになり社会秩序を保つことは出来なくなるでしょう。

一体誰が裁くのか、これはたぶん人間の永遠のテーマなのかもしれません。


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閑話休題


リリーに妹が出来ました!
クリスマスプレゼントとして長女が望んだのは仔猫。

昨日、ペットショップにて、女の子の白い仔猫を買い受けました。

そこには白い仔猫が3匹いたのですが(たぶん兄弟)一匹が男の子で後は女の子。

真っ白な猫で。男の子はブルーアイ。

ペットショップのお姉さん曰く、真っ白のオス猫の90%が耳が聞こえないのだそうです。その猫もそうでした。

家の中だけで飼うのなら耳が聞こえなくても構いませんが、我が家のリリーちゃんが女の子(今日6歳になったのでもう中年のおばさんですが)なのでやはりもう一匹も女の子と言うことで、緑色の目を持つ彼女に決めました。

名前は一応PEKOとしましたが変わるかもしれません。

写真は下記の通り。是非ご覧下さい。

peko1



peko2


peko3





結婚相談とホメオパシー

先日の日記に「水素レメディー」をご紹介しましたが、
ミネラル、メタルのレメディーを語るには、化学元素記号表が欠かせません。

元素は二つがくっついて別の物質になったりします。

代表が水のH20、塩のNaClです。

これは、元素のエレクトロンが引き合うために起こる現象ですが、人間関係にもこれが当てはまります。

根本体質があるメタル、ミネラルレメディーだとして、別のミネラル、メタルレメディーと引き合いを起します。

つまり、反対の性質のもの、自分にない要素を持ったものに惹かれあうことが多いのです。

これが、長いこと一緒にいると人間同士の場合、似た者夫婦になったりします。

しかし、世の常として間違った相手と引き合いを起して、
くっついてしまう場合も往々にしてあります。


この人と結婚しようと思う相手が現れたら、根本体質を捜して自分との関係をホメオパシーの観点から見るということも可能なようです。

新しい、結婚相談ビジネスが可能かも!?

病気を改善するだけでなく、人間観察の一方法としてもホメオパシーは優れた要素を持った代替療法の一つです。

但し、相手を選ぶのは自分、
相手との関係を改善するのも自分、
相手を変えるのではなく自分を変えること。

これを忘れてはいけませんね。


早く、楽に、安全に…

ホメオパシーと一口に言っても、各国で様々なホメオパスによって、進化し続けているので、多種多様な処方の仕方、考え方が生まれています。

根本は、創始者のハーネマンの「オルガノン」に書かれていることに変わりはないのですが、200年の間に解釈の仕方も変化しています。

一つのやり方にConstitutional と Therapeutic があります。

Constitutionalとは、根本体質治療を指し、Therapeuticとは、身体的症状に主眼を置いてその治療に当たるものです。

根本体質治療と言うのは、患者さんがが身体的症状でクリニックを訪れたとしても、精神的側面を重視し、その両方をよく見て、一番その症状に近いレメディーを選び出すものです。

慢性的な身体的な症状には、一般的にこの処方が選択されます。
精神的症状と身体的症状は両者とも密接に関係しているからです。

但し、風邪などの急性症状の場合でも、所謂風邪に効くといわれているレメディーで対処できない場合は、この根本レメディーが良く効く場合もあります。

Therapeutic のやり方では、例え、それが、慢性的な症状でも身体的な症状に焦点をあて、それに合うレメディーを処方することになります。

どちらのやり方を選ぶかは、ホメオパス次第、また、ケース次第です。
中には、絶対にTherapeuticはしないと言うホメオパスもいます。

私は、臨機応変に対応しています。私次第ではなく、患者さん次第です。また、精神的症状がどの程度かにもよります。

さて、30歳の女性が、顔面のにきびに悩み、クリニックを訪れたとします。

彼女は、15歳の頃から、にきびに悩んでいました。思春期に多かれ少なかれ経験することですが、彼女の場合、かなりひどいにきびで皮膚科の専門医に罹っても現在までほとんど良くなっていません。

15年の病歴ですから、慢性症状と言えます。(ちなみに慢性か急性かは6ヶ月が目安と言われています。)

さて、彼女の精神面を見てみると、コンプレックスの塊でした。もともとの顔立ちはキュートな感じなのですが、にきびが邪魔して、化粧も出来ず、彼女は外出も嫌がるほどなのです。

学生時代も友人達が合コンに励む中、彼女はそのにきびゆえにパーティーにも一切参加しませんでした。

にきびに悩むようになるまでは、大変明るく、活発でクラスでもリーダーになるようなタイプだったと自分で言っています。

こうなると、にきびさえ治れば、彼女の気持ちはぐっと明るくなるでしょう。

症状としてにきびが先か、ネガティブな感情が先か?
それは鶏と卵と同じで、一概に言えませんが、にきびが改善されれば、彼女が前向きな気持ちになれるのは明らかです。

そこで、にきびに良いと言われているレメディーを試して3ヵ月後、ほぼにきびが消える頃、彼女は元の明るさを取り戻していました。

時にTherapeutic のやり方は、身体的症状だけでなく、結果として精神的症状をも治すことが実際あるのです。

ホメオパスが、根本体質治療で治ると確信があっても、患者さんの気持ちとしては、一日も早く、にきびを治したい、それ以外のことには聞く耳をもたないでしょう。

どのやり方を選ぶかが大事なのではなく、患者さんを少しでも早く、楽に安全に改善へと導くのが重要なのです。


マッコウクジラの贈り物

鯨の問題では対立するオーストラリアと日本ですが、今日は、その鯨のレメディーのお話です。

先日ご紹介した、パーティー好きのPalladiumとは反対に、公衆の前に出る事が苦手な方用のレメディーです。

このAmbra griseaは、マッコウクジラの腸内の分泌物で、新鮮なものは柔らかくねばねばしていて強烈な不快な臭いを発しています。

ところが日に晒すと、黒くなり臭いが良い匂いへと変化します。

余談ですが、このマッコウクジラ、英語では「Sperm whale」と言います。Sperm とは、精子のこと、精子に形が似ていることからついた名前だそうです。

精神的なものと女性の生殖器に関わる症状に効くと言われています。

身体的症状
*不正出血
*喘息
*脚のしびれ
*咳、(暴力的な)
*生理痛
*生理過多

などです。

精神的には、とにかく恥かしがること。
でも、並大抵の恥かしがり屋さんではありません。

家に誰かいるとトイレに行けないのです。
排便や排尿の音や気配を悟られることを極度に嫌います。

外出中にトイレに行くことももちろん出来ません。

人見知りが激しくて、大勢の人の前に出ると、顔がすぐに赤くなり、自分のところにスポットライトが当たっているような気がして頭の中が白くなり考える力も低下します。

混乱したり、読解力が鈍ります。

夢見がちな感じになり理解力も低下します。

人ごみや狭いスペースを嫌います。
音や臭いに敏感で、臭いは悲しみの感情を呼び起こします。

仕事の失敗や愛する人の死などで特に症状が悪化します。

他人の笑い顔を見るのが苦手で、自分が笑われているに違いないと勘違いします。

喋っていると不安が増し、汗もかきます。
答えを待たずに矢継ぎ早に質問をします。

年を取るのが早い傾向が見られます。

どちらかと言うと女性、子供、老人向きのレメディーと言われています。

鯨と言う大きな動物の割にはとても気が小さいのが特徴と言えるレメディーです。

鯨は身体は大きいけれど、繊細な哺乳類と言われているので当然といえば当然かもしれません。

マッコウクジラからの贈り物でした。


プロフィール

lotushomeopathy

Author:lotushomeopathy
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